草の写真 草木往還 2021年 そらのべ

草木往還 目次



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草木往還 2021年


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今年初めての外出は自転車になった。

大くすのきの林だった場所の横を通った。坂をがんばって登った。歩道のはなみずきの木の下にセイタカハハコグサらしき草の姿が見えた。


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銅像のサックスおじさんのサックスに空き缶が詰められていた。サックスおじさんは元気そうだった。

えのきだったか、小径に庭の木が大きく張り出していたお家があったのだが、木も家も無くなっていた。少し前に通ったときにそのお家が見あたらず、道を勘違いしたのではと思って探したのだが、やはりこの道のようだった。

こちらの小径の入口の角も更地になっていた。グラウンドカバーの草が植えてあった。建物が建てばこの草は無くなるのだろうか。

スーパーマーケット跡地には冬が来ていた。

この前、壊れていたプラスチック柵を地面に並べた街路樹の植え枡は、壊れて半分になった柵がそのまま立てられて花壇を縁取っていた。

道端のヒメウズの場所では、縁石のふちや設置物の脇などいくつかの位置でヒメウズが葉を出していた。


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雪が積もり始めた。角のムラサキカタバミが埋もれていた。クワクサは細い枯れた茎だけになって雪の中を立っていた。近くの小さなフラサバソウも雪をかぶっていた。


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工事でフェンスに囲われた公園の、フェンス外の角にとても小さな花壇があった。何の花かわからなかったが数株植えてあった。寒い中で色あざやかだった。道際には雪が融け残っていた。

狭い道で車が両方から来た。電信柱の陰で車をやり過ごす。となりの建物の際にノゲシが並んでいた。そこそこ育っていて、寒いのに花が半分開いている。建物は小さな今風のお店が入っていた。

中心街の公園はがらがらだった。喫煙コーナーだけ人がいくらか集まっていた。

銅像サックスおじさんのサックスにはもう空き缶は入ってなかった。通り行く人もここでひと休みする人も少なくなったけれど、サックスおじさんはあまり変わりなく過ごしているようだった。


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家の蝋梅のうち1本は花がすっかり落ちてしまった。鳥のせいではないかと思うがよくわからない。こちらのお家の蝋梅はまだ葉が残っていて、つぼみがたくさんある。葉が残ったまま花を咲かせるのが蝋梅にとって大変なのかどうかわからないが、こちらの蝋梅の冬はいま始まったばかりのようだった。

電柱が移設されて無くなった場所のスズメノカタビラ、最近あまり元気ではなかった。きょう、その場所一帯の草が、薬が使われたのか寒さのせいか全体枯れていた。スズメノカタビラも枯れ色をしていた。でもそのなかにわずかに緑味があった。枯れた他の草の中にも緑がわずかに見えていた。

春は遠いけれど、その小さなそれぞれの緑には、小さな春があるのかもしれない。


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柿の木や樫の木の場所にはアパートが建った。木の位置は舗装されて駐車場になった。木の根が残って敷地の際から芽を出さないかと思って以前から見ていたが、その敷地界の所に狭く、ホトケノザが茂っていた。

アキノノゲシが出ていた駐車場の端の一角。ホトケノザやカラスノエンドウが茂っていた。キュウリグサも少し。黄色い花が見えた。たぶんトゲミノキツネノボタンだろう。きつねのぼたんの花をいま見るとは思わなかった。きらきらしていた。

ランタナの交差点。ランタナは葉がしおれたり紫がかったりしていた。オオキバナカタバミらしき花がつぼんでいた。端の一角に水仙らしき葉が立ち並んでいた。

田んぼだった駐車場の脇の小さな石造りのプランターではノースポールが咲いていた。近くの畑はホトケノザ畑になっていた。

分かれ道の椿が咲いていた。

伐採木置き場のいちょうは、取り囲んで茂っていた草たちが姿を消して、切り株があらわになっていた。小さなひこばえがたくさん出ていた。切り株の一部は土をかぶっていて、そこにホトケノザが生えていた。

畑の端に見えた葉っぱはどうもウマノアシガタのようだ。

お家の隣のナズナが出ていた畑がなくなって新しく家が建った。その敷地の端に、ここでもホトケノザが並んでいた。ナズナも少し出ていた。いちばん手前のブロックの陰になったところに、スズメノカタビラらしき草がひょろっと伸びていた。

振り返れば山の上に夕日。黄砂だという空は薄く明るかった。


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2つ信号の場所は草の姿がさすがに見えなくなっていた。オニタビラコのロゼットが1つ広がっていた。隣が、以前穂を横たえていたエノコログサ。エノコログサは枯れ姿になっていた。横たえた穂は残っていた。

スーパーマーケット跡地のヒロハホウキギクは奥のほうに茂っていた株たちもしおれているようだった。手前で枯れきったヒロハホウキギクやアキノノゲシが揺れていた。

緑道の蝋梅は咲き進んでいた。たくさんのつぼみ。春やねえ、と、通る人の声がした。

大きな窓から利用者の方が外を眺めておられた。私と目が合ったが、私には関心がなさげなご様子だった。窓の下に横に広がる小さな畑で、たぶん以前植えられていたのだろう何かの菜っ葉が、他の草たちに混じって葉を広げていた。


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2つ信号の場所にはパイロンが立っていた。枯れたエノコログサに接するような位置。エノコログサのまわりに小さな草の芽が少し出ているのが見えた。

小さなエノキの切り株の場所のオニタビラコは、花が綿毛になって、雪をたくわえているようだった。

スーパーマーケット跡地の手前側で、ヒエガエリのように見える草の穂が1本、枯れて立っていた。跡地は枯れたアキノエノコログサの穂が立ち並び、その中、セイヨウハハコグサだと思う葉がところどころで広がりつつあった。

緑道で蝋梅の花の写真を撮っていると、後ろで自転車が停まった。写真を撮り終えて花の香りをかいでその場を離れた。振り返ると自転車の方が花の写真を撮っておられた。

日が暮れた。車が多くて道を渡れないので横断歩道を渡り、そのまま正面の歩道を行った。砂埃が目に入って痛い。歩道に沿って続く花壇で、水仙の花が対向車のライトに照らされていた。

線路際の場所は草の姿がわからなかった。また明るい時に見てみようと思う。


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去年の春はここにアメリカフウロが1株小さく生えていた。その位置には草の姿は見えない。近くでホトケノザがやはり小さく葉を広げていた。

線路際の場所は、秋に出ていた大きめな丈の草は姿を消し、アメリカフウロやカラスノエンドウなどの春の草が見え隠れしていた。

桜の跡地のマンション建設現場、手前のヒメムカシヨモギは小さなまま過ごしていた。桜の場所はいろいろな物が置かれたり敷かれたりしていた。

桐の木の場所は家が建った。もう入居済みの様子だった。桐の木が出ていた位置は玉砂利というのか、セメントで固められていた。

丁字路は以前に通ったときはエノコログサが小さく生えていたのだったと思うが、いまはそこに小さな葉が見えていた。

ノミノツヅリなどの草が出ていた横断歩道の小脇では、ヒメムカシヨモギだと思う草が小さな穂を掲げていた。さすがに花は咲いていなかったが、花の用意はしてあるようだった。

埋め立てられた水路の脇ではキュウリグサがロゼットをぽつぽつと広げていた。

以前キツネノマゴがいた場所の小さな隙間に、はこべの仲間らしき葉がちらりと見えた。

ひさしぶりの公園は木々が落葉したためか少し明るくなったと感じた。広場で遊んでいるたくさんの人たち。高くそびえる楓の木々の向こうで、日がだいぶ低くなっていた。


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ひさしぶりにこの道を行ってみようか、と思ったけれど通る人にさえぎられ、ただそれだけでいつもの道を行った。街路樹のふもとにたんぽぽのロゼットが見えた。この道を行かなければ見ていなかっただろう。

2つ信号の場所はどうもガードレールを工事するようだ。パイロンが増え、一部のレールが新しくなっていた。オニタビラコやエノコログサが出る位置はいまのところぎりぎりで無事。この前に見たオニタビラコのロゼットも、枯れたエノコログサも、そのままだった。

擁壁を覆っていたクズが枯れていた。壁の下で、枯れたクズの中からヨモギが葉をのぞかせていた。

スーパーマーケット跡地の横をこの前通ったときに見た何かの草を思い出せなかったのだが、あらためて見たらノボロギクだった。もう花をつけていた。

蝋梅のそばに来たら今日も他の方が立ち止まっておられた。犬の散歩のお仲間の様子。蝋梅は花でいっぱいだった。

公園に新しい施設が出来たという話だけ聞いていたが、初めてそばを通った。お店兼カフェのような造りだったが、お客さんはぱらぱらのようだった。公園自体そんなに人が多くない。よく晴れているけれど夕方の風が冷たかった。

行こうと思っていた道を変えて、たしか水仙が咲いているはずとそちらへ向かった。丘の斜面の水仙はまばらに咲いていた。

シロバナタンポポの場所は草刈りがあったようだった。歩道から少し離れた所に、たんぽぽの茎らしきものが1本だけぽつんと立っていた。がんばったのだろう。


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整骨院さんの前で野菜などをプランターで育ててらっしゃる。いまはいちご。いちごの葉も出ているが、何かよくわからない葉が。すみれのような花の茎を立てていたけれど、花は無かった。

何か声がするように竹林の竹が揺すれていた。いや声だったのかもしれない。

ムラサキカタバミやアカザの出ていた角は、ホトケノザが何株も出ていた。

網ガードレールの角にノボロギクが出てきた。去年の春はここでノボロギクを見ていたのだった。まだ小さい。ツメクサも葉を出していた。


*** 五ヶ山・小川内

ひさしぶりの道はマスクをしながらだとまわりの景色や草木が見えてこない感じがした。

ダム直下に新しく出来ていた公園のほうへ向かった。公園へはすぐに入らず、その先の旧五ヶ山小学校跡地へ歩いた。高いメタセコイアの木がそびえている。石碑に、小学校が統合されて無くなったのが昭和41年と書いてあった。何かの動物のオブジェが向こうを向いていた。

公園の横を流れる那珂川は、岩がずいぶんと赤かった。しばらく流量が多かったと聞いている。水は濁っていた。

ダム湖に沈んでいた木々は白くなっていた。旧道は一部で土が積もっているほかは路面が見えていたが、上から見るかぎりではあたりに草が生えているようには見えなかった。

東小河内の丘の桜やモッコクやもみじ、川のほとりのこぶし、旧小川内小学校の桜が見えていた。小学校の桜の少し下まで水が上がってきていた。

小川内の杉は1本の杉の頂部に何か金属棒のようなものが取り付けられていた。別の1本の梢が以前切られていた覚えがあるが、そのあたりに葉が小さくこんもりと茂っていた。

桜はきょうも小さく枝々を振ってくれているように私には見えた。また来ます、と声に出して言った。


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道沿いは畑で、ホトケノザがたくさん咲いていた。ところどころナズナも。

線路の脇に1本の木が立っている。くすのきのようだ。近くまで行ってみたかったが時間がない。近くまで行けるかどうかもよくわからなかった。

まちを歩いていると雨になった。カレーの看板が出ている喫茶店に入りたかったが、福岡市から来た者がいま入ってよいのか逡巡した。けっきょく入らずに、その先の神社にお参りした。境内に塀はなく、すぐ先が道と民家で、大きな槙の木が境内のしるしのように立っていた。

次の列車がまだだいぶ後で、雨で駅舎の外でどうしようもなく立っていたが、どうにも時間がもったいなくなり、少し小降りだと思って川沿いへ出た。雨の川をアオサギや白いサギが歩いていた。私を見てああと鳴いて向こうへ行った。土手にはつくしが出ていた。

川土手の道沿いは畑なのか非耕作地なのか。しばらく建物がない。ずっと歩いた。一度だけ車が通っていった。道をそろそろ折れる頃に、梅が咲いていた。ほのかに香りがした。

行きがけにこの道にりんごが落ちていた。そのりんごが、脇に避けてあった。脇も小さな畑のようで、大根が1本、抜かれたのかほぼ横倒しになっていた。

かっぱが立ち並ぶ遊歩道の東屋に入ると、すぐに猫が鳴いてやってきた。食べ物はないよと手を広げて見せるが、にゃあとこちらを見ながら近づいてくる。手を広げて東屋を後にした。猫はあきらめたらしく、振り返るといなかった。


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以前たしかノゲシが出ていた空地は木のチップが敷き詰められて移動販売車が入っていた。その敷地の端にノゲシが見えた。

スーパーマーケット跡地の手前側に生えている草、もう1株はイタドリだった。葉がだいぶ傷んでいる様子だった。跡地には秋の草が枯れて残っている。アキノエノコログサが変わりなく白く揺れていた。


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駐車場の陽当たりの良い側でホトケノザがたくさん咲いていた。にこやかに見えた。

この道を行くのはひさしぶり。こちらに曲がると以前は団地の脇に家庭菜園のような場所があった。いまはない。曲がらずに行く。隣の畑の中を見下ろすとオオイヌノフグリがたくさん咲いていた。

このあいだ再整備されたと思っていた公園がまた再整備工事されていた。公園を囲んでいた木々が完全に無くなり、新しく植えられそうな苗木が横たえられていた。以前からの木が2本だけ、公園の中ほどに残っていた。

角のノボロギクは丈が低いままつぼみをつけていた。

十月桜は花がだいぶ散ったように見えた。春の花はまだ先なのだろう。

公園から降りてくる斜面をこどもたちが滑り降りてきた。少し先に飛び出し注意の看板が立っていた。


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立ち寄った公園でこどもたちがくすのきにとりついてにぎやかだった。ひとりふたり登っていた。

まだ何も植えられていない広い畑の向こうに山並み。なぜか北海道の景色を思い出した。

ここでも道端はホトケノザがたくさん。ところどころにぽつぽつとオオイヌノフグリが咲いているのが、私の住んでいるあたりと違っていた。

ハルサザンカで知られるお寺を訪ねた。ハルサザンカは整った樹形で、たくさんの花を咲かせていた。そしてたくさんの花を落としていた。上のほうでひよが鳴き、樹冠の中をめじろが飛び回っていた。おだやかだった。

小さな花がいっぱいに咲いている畑。レンゲソウのように土にすき込むための草なのだろうか。水路の横に1本、何かの木が立っている。その向こうの山々には光の梯子が降りてきていた。


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ここに来たときにいつも立ち寄るくすのき。この前のときには気づかなかったけれど、ひこばえが伸びていた。

上弦を少し過ぎた月が暮れ色の空に高く掛かっていた。街路樹のこぶしが芽をたくさんたくわえて差し出していた。


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バス停の脇で、道路拡張工事のあと古い建物の壁が露出している。その壁の下でノゲシがたくさん葉を広げていた。

畑のだいぶ手前で畑がむらさき色に染まっているのが見えていた。レンゲソウだろうか、でも色が違う、と思いながら近づいていくと、ホトケノザだった。ホトケノザ畑。その向こうはナズナ畑。こんなにホトケノザがいちめん咲いているのは初めて見た。目が覚めるようだった。空が明るい。向こうに建物が並んでその向こうが山。春だった。

施設入口のヤマモモの木の下で、たぶん草取りだと思う方々が屈んで作業をなさっていた。場を離れるときにお一方と目が合って会釈した。

帰り道に信号の都合でふだん行かない側の歩道を歩いていたら、香りがした。カラミザクラだ。ひさしぶりにカラミザクラを見た気がする。なつかしい香りだった。そのカラミザクラの手前に山道の看板が出ていた。登ってみることにした。

山道は思ったより急だったが整備されていて、まち用の靴でもまあまあ歩きやすかった。樫の木や椎の木のあいだを抜けて左右にも上下にも曲がりくねる道を歩いた。山頂は一方向に開けていた。福岡の町が広がっている。ヤマモモの木が景色を見守るように立っていた。

樫の木や柿の木がいた場所はその隣の敷地にも白い砂が敷き詰められた。敷地の端に、きつねのぼたんの仲間らしき葉が少しだけのぞいていた。

道沿いの小さな畑はお家になった。端に土が残って草たちが残っていたけれど、そこも新たに砂利が敷き詰められていた。草は出ていない。敷地界のブロック塀の途中からホトケノザが数株出て、花を咲かせていた。


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2つ信号の場所ではガードレール工事が終わったようだった。オニタビラコやエノコログサが出る位置は無事。オニタビラコが変わらず葉を広げていた。

スーパーマーケット跡地ではノゲシが咲いていた。カラスノエンドウの葉が増えてきた。

ふと目を遣った街路樹の植え枡ですみれが咲いていた。ふだん歩道の反対側ばかりを見ていて、すみれがここにいると知らなかった。すみれがいるのはその植え枡だけのようだった。


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このごろはずっと大くすのきの林のことが気になって、以前ときどき通っていた細道のほうをしばらく通っていなかった。そちらを通ることにした。

公園のほうから蝶が飛んできて、戻っていった。モンシロチョウのようだった。ああ蝶がいると思ってそちらのほうへ目を遣ったら、公園の向こうが土山になっていて重機が作業していた。元は土山ではなく林だったような気がする。

もともと木材を積んだような造りのお店だったが、台風のためなのか崩れているように見えた。手前の空地ではホトケノザなどの春の花が咲いていた。いろいろ咲いていたと思うのだがお店の様子が記憶に強く残っている。

この前のホトケノザ畑は、横に回ってみたらその向こうのナズナ畑のほうが面積としては広かった。それにしても色あざやかだ。

ところどころで実桜らしき花が咲いていた。香りをかぎたいとも思いながらそのままマスクを外さず歩いた。

おーい、ばいばい、と、後ろのほうで声がした。振り返ると、同じ歩道のだいぶ離れたところで、親御さんにそれぞれ抱きかかえられたきょうだいらしき小さなこどもさんたちが、こちらのほうかどこかへ向けて手を振りながら、ばいばい、と叫んでいる。私のことだろうかとちらっと思ったが、こどもさんがちょっと斜めを向いているように見え、笑顔だけを送ってそのまま正面を向いて歩いた。少し行って振り返るともう親子さんたちの姿は見えなかった。

学校のグラウンドの網が終わったあたりの木の枝に、お守りと鍵のようなものが掛けてあった。こどもさんのものだろう。お守りを見ていて少し胸が詰まった。

公園は明るかったが風がまだ少し寒かった。にぎわっていた。にぎわいを少し外れて過ごした。いつも掛けるベンチの前に、小さく火をおこすように小枝と石が組んで積んであった。火をおこすつもりだったのかどうかはわからない。

少し歩き疲れた。線路際の場所はオランダミミナグサやナガミヒナゲシの葉が見えた。少し先でノゲシやナズナが咲いていた。ここは木々の場所だったが、木らしき姿はまったく見当たらなかった。


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中心市街地の公園ではこぶしが咲き始めていた。

そのこぶしを見て、交差点のこぶしが咲いているだろうかと見に行った。満開だった。満開をやや過ぎている感じさえした。うすら雲が出ていて、空が花を包むように優しかった。

遠くに見える別のこぶしもよく咲いているようだった。

道の先のもう1本別のこぶしはまだ芽を開かずにいた。

ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウが枯れて立っているのが見えた。刈られなかったのだ。

チャンチンのひこばえは全部切られたようで見当たらなかった。本体だった木はすでにだいぶ前に伐採されたので、ひこばえだけで生きている。また生えてくるだろうとは思う。

小さな土手でカンサイタンポポが咲いていた。

からすに餌を投げている方がおられた。からすが集まってくる。その様子を少し離れた所から他の方がカメラに収めている様子だった。

古くからの桜がさきごろ伐採された歩道に、新しい桜が植えられていた。すっくと立っていたが、この桜が大きくなったらまた伐採されるのだろうか。そのようなことを繰り返すわれわれに、桜を愛でる資格などあるのだろうか。花の芽がひとつ殻割れしていた。


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ホトケノザ畑はナズナがだいぶ入ってきた。畑の脇では菜の花が増えてきた。

橋の上から川を眺めた。向こうのほうに白い花をいっぱい咲かせた大きな木が見えた。こぶしのようだ。近くまで行こうかと思ったが先が長いのであきらめた。いずれにしても建物の敷地内で近づけなさそうだった。

道沿いの小さな土の場所にヒメオドリコソウが固まって出ていた。まわりをオオイヌノフグリやフラサバソウが囲んでいた。

思いがけない街中の道端でシロバナタンポポを見つけた。天気のためか時刻のためか花は開いてなかった。花が1つ採られた跡があった。

しばらく歩いた先の、道の対岸の向こうのほうにもシロバナタンポポのような感じの花が見えていた。くるまが多くて道を渡るのをあきらめた。

スーパーマーケット跡地は草が刈られていた。だいぶ高い位置で刈られていたので、草刈り機を回してだったのだろう。


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閉店したお店の前に昨年ノゲシが出ていた、そのあたりに、たんぽぽとノボロギクとノゲシが出ていた。

手入れされてある建物外縁の緑地にヒメウズがたくさんいた。残してもらえるといいなと思う。

この前、上弦過ぎの月と一緒に見た街路樹のこぶし、咲いていた。あたりはこぶしの花木でいっぱいだった。

公園でトイレを借りた。トイレを出て公園を横切っていて、正面に大きく傾いた桜の木が立っていた。主幹が切られて横に伸びていった様子。他の桜たちと同じに、たくさんの芽を青空に差し出していた。

市役所では山桜が咲いていた。

大きな公園のトウカエデの下でお弁当をいただく。トウカエデはまだ芽吹きそうにない。空は流れるような雲。その空へ細かな枝を差し上げていた。

タンポポが2輪咲いていた。ここでよく見かけるね、と、お散歩の方から声を掛けていただいた。

オオシマザクラの仲間だと思う、並木の外れに近い場所の丈の低い桜の木に、花が咲いているのが見えた。ここもくるまが多くて道を渡るのをあきらめた。

公園はこどもたちがボールを投げていた。その脇を桜を見て歩く。こちらの桜はどうだろうと思って立ち寄ると、高い枝に花が咲いていた。木全体で数えて6輪。青空に煙のような雲が流れていた。こどもたちはいつのまにかどこかへいなくなっていた。

十月桜もたくさん花を咲かせていた。春の花。

角のノボロギクも咲いていた。


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廃止された公園の桜はいつも少し早く咲いた。今年ももう咲いている頃だ。そう思って公園跡地へ出向いた。夕日が坂の向こうに。その坂の右手が桜だった。いまの景色に桜の景色を心で重ねた。

少し離れて公園跡地を眺めた。桜やけやきやメタセコイアが見えていた位置。いまは道路工事も進んで別の景色になっている。手前の道端で、ホトケノザが夕日を浴びて勢いよく咲いていた。そこで公園の緑を引き継いでいるみたいだった。

なにも自分から逃げ出すことはない、と思った。


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花屋さんの隣の駐車場の隅に、何かの花が逃げてきたような感じの草が1本、小さく立っていた。


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交差点のこぶしは花がだいぶ散って、あおあおとしてきた。

交差点のチャンチンが芽を出し始めていた。かなり早い気がする。

その少し先のこぶしはよく咲いていた。遠くから見ても咲いているとわかった。以前はあまり花がつかない木だったけれど、年を経て花木になった。幹をなでた。枝を落とされた跡がたくさんあってぼこぼこしていた。

ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウの所へ行った。この前遠目に見たとおり、やはり枯れて立っていた。根元に何かの緑が見えたが、ヨウシュヤマゴボウではなさそうだった。

しばらく行っていない公園へ回ってみた。たしか大きな切り株があった、と思ってそのあたりに来てみたがわからない。遊具が新しい。たぶんこの一帯を再整備したのだろう。こどもたちがあちこちでそれぞれに遊んでいた。

もうひとつ、やはりしばらく行っていない公園に立ち寄った。隣が体育館だったが完全に取り壊されて造成中のようだった。ボールやブランコを避けながら公園の隅を横切る。花壇の一角がカラスノエンドウ畑になっていた。

以前この桜のところを通ったとき、根元近くから花が咲いていたのを見た。きょうは根の周りでヒメウズがたくさん咲いていた。

シロバナタンポポの小さな丘は草刈りされていたが、1株だけ低い丈で花を咲かせていた。

山桜の所へ来た。遠目で、花が咲いている、と思った。ここへはたまに来るけれど、花のときに来たのはかなりひさしぶりだ。うれしくなった。花は少なめに咲いて、傾いた陽にところどころ照らされていた。

草を見ながら歩いていて声を掛けられた。わりと大荷物を引いて先へ行かれた。帰り道にその方がおられた。猫が食事していた。

以前は花見でにぎわった場所。お店がなくなり、コロナで花見の自粛が呼びかけられて、それでもいくらか人出があるようだった。陽光桜だけが満開で、あざやかな色に立ち止まったのだろう数人の方々がスマートフォンを向けていた。私もその外れで1枚、写真を撮った。

夕日が水の向こうへだんだん降りて行く。さっきはリコーダーを吹いている方がいらっしゃったが、ここまでは音はしてこなかった。

むかし、ここの桜をまんがのモデルにしたいとたびたび来て写真に撮っていた。その桜の木がなくなり、同じ種類の他のオオシマザクラの木々が咲いている。マスクを外した。すぐに甘い香りがした。

ヒメオドリコソウは今年も咲いていた。だいぶ数が少なくなったようだが、人があまり来ない場所で穏やかに世代を継いでいるようだった。

十月桜が春の花を咲かせていた。ここの十月桜のことを教えてくださった方のことを思い出しながら、初めて訪ねたときも夕日のあとだったと思いながら、花を眺めた。


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交差点を渡っていて、横の道をこちらへ、胸に勲章のようなものをつけたこどもさんが歩いていた。きょうは小学校の卒業式だ、と、ぱっと思ったのだが、私は会釈をするだけで通り過ぎてしまった。遠くからでも拍手してあげたらよかったと後で思ったが、そんなことをしてはたして喜んでもらえたどうか、わからない。

2つ信号の場所ではオニタビラコが咲いていた。たぶんイヌコハコベではないかと思う小さな葉があちこちに出ていた。

小さなエノキの切り株が残っている場所でもオニタビラコが花を咲かせていた。

スーパーマーケット跡地の端では、新しいヒエガエリの穂が出ていた。早い。跡地は草刈りのあと静かになっている。たんぽぽが1輪咲いていた。

クサギのトンネルだった場所は、クサギの出ていた斜面に、ホトケノザやオニタビラコやキュウリグサが出ていた。下の道の脇ではノジスミレが咲き、少し先ではヒメウズが咲いていた。斜面を眺めていると、上から何かの枯れ葉が斜面をころころと転がり落ちてきた。私の目の前を通り過ぎて、歩道に止まった。

残された桜が咲き始めていた。桜の下にベビーカーが停まっていた。少し先で、小さなこどもさんがお母さんに見守られかばわれながら、歩き回っていた。

緑道にシャガが咲いていた。こどもさんを抱きかかえた方が、白いお花が咲いてるよ、と明るい声でこどもさんに言った。そのあとから来た方々も、シャガのほうを見て、この花は…と話をなさっていた。

緑道の別の場所ではカラスノエンドウが茂りに茂っていた。まだあぶらむしはついていない。

まったく別の場所の三叉路で信号で止められて、ふと横を見ると、角の小さな植え込みにカラスノエンドウが茂っていた。よく見るとミントの仲間も混じっているようだった。

メガルカヤとオガルカヤを見た土手で、カンサイタンポポが咲いていた。

川の向こうで、桜が満開になっているのが見えた。川を渡って見に行った。そういえば以前ここを散歩の企画で歩いたとき、どなたかがここの桜のことをお話しになっていたような覚えがしてきた。桜はソメイヨシノではなく、萼筒がほっそりしていた。夕日が桜の向こうから桜を照らしていた。甘く香っていた。

その桜のすぐ近くで、冬に枯れたのだろうセイタカアワダチソウが、そのまま立って綿毛を差し上げていた。そのセイタカアワダチソウも夕日に照らされ、綿毛が雪のように白く輝いていた。それを見て通り過ぎようとして、ふと、桜は写真に撮ったのでセイタカアワダチソウも撮らないとと思った。でも集合住宅の裏手で、ここでカメラを構えるわけにはちょっといかないと思い、歩き出した。

川を挟んだ小学校は校庭でサッカークラブが活動していた。この小学校もきょうが卒業式だったはずだが、卒業生を送り出した日のおもかげは何も見えなかった。いつもの学校の夕方の景色のようだった。

帰り道、クサギのトンネルの場所に差し掛かる手前で、ときどき目を遣っていた手折られたヒメジョオンに花が咲いているのに気がついた。越冬したのだ。花は少し小ぶり。茎はだいぶ弱っている感じだったが、根元から新しいロゼットが広がり始めていた。


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街路樹のこぶしの根元に大きな枝が置いてあった。どれかの木の枝が折れたようだ。葉が少ししおれていた。つぼみが開きかかっていた。

このまえ上弦の月とともに見上げた街路樹のこぶしは、満開を過ぎて葉がだいぶ茂っていた。花が路面を埋めかけていた。

大くすのきの林の道を挟んだ対岸の歩道側では、山桜が満開を過ぎていた。小さなこどもさんを連れたお母さんが、ふたりで桜を見上げていた。

そして対岸歩道の道端にシロバナタンポポが1輪咲いていた。

柿の木や樫の木のいた場所の敷地の隣ではトゲミノキツネノボタンらしき花が咲いていた。

ホトケノザとナズナの畑は耕されていた。畑の隅にホトケノザやナズナが名残のように咲いていた。

小さな神社の木々が枝をかなり落とされて小さな枝振りになってしまった。そのうちの桜の木々が花を咲かせていた。花はぱらぱらだったが、桜のせいではない。ありがとう、と声で伝えた。

桃の木2本は紅白だった。小雨の空に高く並んで咲いていた。

伐採木置き場のいちょう切り株、ひこばえにはまだ動きがないようだった。ホトケノザと菜の花がたくさん咲いていた。

こずえが枯れているのか葉がない、高いくすのき。黒く立ちこめる雲に向かって手を伸ばしているようだった。

小学校の桜もほぼ満開だった。歩道に伸び出している枝の花に手を触れた。

桜並木に立ち寄った。7年前に一部の桜が伐採され、いまもところどころ切り株が残る。そのうちの1つの切り株にひこばえが繰り返し出ている。草刈りで刈られてはまたひこばえを伸ばしている。去年も新しくひこばえを出していた。きょうそのひこばえを見たら、脇が土で覆われていた。いま出ているひこばえは切り株がだいぶ腐朽したため、ぐらぐらしていた。それを止めるためにどなたかが土を盛ったのだろう。

7年前には説明会が開かれるなどしていたが、地域の方はもう切り株やひこばえはご覧になっていないだろうと勝手に思っていた。ひこばえは小さな土の山から伸び出ている格好になっている。たくさんの小さな葉が広がり始めていた。それを見ていて、涙が止まらなくなった。マスクの中で大泣きした。

雨の中、暗くなってきてほかに桜を見ている人は近くにはいなかった。その先へ歩いていくと、街灯で明るく照らされている所で、傘をさして花の写真をお撮りになっている方がおられた。おたがい何も言わずにすれちがった。

山桜だと思う桜の下で香りがした。

去年いちばん早くに花を見た公園の桜も花でいっぱいになっていた。今年も幹から花を咲かせていた。その向こう、今年いちばんに花を見た桜の木はすでに満開のようだった。

十月桜が、いくらかの花を残して咲かせていた。

お家の跡地に残された桜も咲いていた。こちらは満開までもうしばらくありそうだった。

角のノボロギクも元気にしていた。脇にはツメクサやオニタビラコも。


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街路樹こぶしの折れた枝は花が1つ咲いていた。きのうは気づかなかったのだろう。きのう見たつぼみは少しふくらんでいるような気がした。雨が降ってよかった。

道沿いの営業所の手前でフリージアを見かけた。

建物の窓から外のこぶしの花が風に散るのを見た。一瞬のことだった。

この施設に来るときにいつも立ち寄るくすのき。この前に来たときにすでにそうだったのか、ひこばえが1本折り取られた跡があった。隣のひこばえは若葉を出していた。

小学校の桜は冷えた曇り空に雪のようだった。この学校に通っていたこどもたちを思い出した。

今年いちばん早くに花を見せてくれた桜の所へ行った。花が流れ落ちていた。地面には花が降り積もっていた。


***

麦野公園の桜の根が移植された麦野霊園を訪ねた。根は2015年秋に移植されたが、その後は動きがない。いまはそばにキンモクセイが植えられている。きょうも動きはなかった。

霊園を後にしてしばらくして、帽子をどこかに落としたと気づいた。戻っていくと、霊園の桜の移植場所の手前に落ちていた。桜が、せっかく来たのだからもう少し居たらどうなのかと言っているような気がした。根の埋まる土に触れた。温かかった。

私が善処をお願いしたことで、桜の墓所が出来たのだと気づいた。涙が出てきた。

こちらの公園の桜もたぶん麦野公園と同じ時期に植えられたのだろう。幹が太い。幹から花が咲いている。こどもたちが行き来する。桜の下のベンチにこどもさんと親御さんらしき方が腰掛けた。



シロバナタンポポの場所ではシロバナタンポポが増えていた。どなたかに守られているような感じがした。

区画整理事業の後に1本残された桜。今年もよく咲いていた。満開に少し早かったけれど、青空にたくさんの花。マスクをしていたけれど、香りがした。マスクをずらして香りを嗅いだ。若い方々やベビーカーの親子さんがかわるがわるやってきて写真を撮っていた。私も写真を撮り、スケッチをした。

桜の下を離れて、道の対岸から写真を撮ろうと振り返った。おひとりの方がやってきて写真を撮っておられた。

むかしこどもたちと遊んだ商店街に隣接する公園のオオシマザクラ。花に間に合った感じだった。いまのこどもたちが遊んでいる脇で、桜の写真を撮った。オオシマザクラも香った。そのなかに緑のような香りがした。

大学キャンパス跡地は更地になった敷地内に木々が整然と並んでいた。おそらく仮移設だろう。元の塀やフェンス類は撤去されて工事用のフェンスが立ち並んでいた。

キャンパス内の私が通っていた地区は仮の道路が通されていた。その道路を歩く形でひさしぶりに敷地内に入った。建物が無くなり、舗装も剥がされ、仮移設の木々を除けばわずかな木々が元の位置に残されているだけになっていた。

シロバナタンポポが残っていた。その一帯のフェンスが透明だったので見ることができた。花を咲かせていた。手を触れることはまったくできなかった。

旧グラウンドの遠い端でオオシマザクラの仲間だと思う桜が咲いているのが小さく見えた。

キャンパスの入口手前に掛かっていた歩道橋も撤去され、門の一帯も以前の面影はなくなっていた。敷地に向かって一礼して去った。


***

2つ信号の場所ではオニタビラコが高くなって咲いていた。イヌコハコベも小さく花を咲かせていた。

えのきの小さな切り株の場所のオニタビラコは切られたのか茎が見当たらなかった。

跡地の2世桜も、YSさんがかわいがっていた桜も、咲き始めていた。

残された緑道の桜を、道端にしゃがみ込んで色鉛筆でスケッチした。画面をのぞき込んで無言で去っていく方々。街のピアノを弾いているときと同じだと思った。花はうまく描けた気がしないが、描いてよかった。いい時間だった。

スーパーマーケット跡地を、鳩が2羽歩いていた。


*** 五ヶ山・小川内

山はところどころ山桜が咲いていた。まだこれからの木も多かった。

ダム湖の水位が下がったため見えるようになっている旧小川内小学校の桜の木は、ふたたび水に浸かり始めて、根元が水に沈んでいた。木全体は黒っぽく見えた。花が咲くとか芽吹くとか、そうしたことは何も起きそうになかった。

東小河内の木々のまわりでは草が少し芽生えてきたようだった。ところどころ緑が見えた。しかし高さが低くなるにつれそうした緑も少なくなっていた。旧小川内小学校の桜と同じく、木々はきょうは黒っぽく見えた。川岸のこぶしも芽のようなものは見えなかった。

旧山神社の移転先を訪ねた。移転先はフェンスで囲われていて、遠目で境内のあたりを見た。境内の桜はまだ咲いていなかった。枝のところどころが赤っぽく、山桜のように見えた。

川の対岸側に渡った。移転なさった方が手入れなさっている花園にお地蔵さまと碑が建立されていた。

小川内の杉はこの前と変わらず元気そうだった。まわりの山桜はまだ咲いていなかった。

水に浸かっていた木々はやはり枯れたのだろう。佐賀大橋から旧小川内小学校の桜の木を見つめていて、ふと、花が咲いている、と思った。この姿で花が咲いているのだ。生きていようと枯れていようと、木の生きたその姿は花なのだ。空に向かって咲いているのだ。あのときの花姿のように。

手を挙げた。

+++

街路樹こぶしの折れた枝は花が2つ開いてしおれていた。葉はだいぶ枯れかかっていたが、開きそうな芽もあった。水を掛けた。


***

畑の畦にムラサキサギゴケがたくさん咲いていた。

ひさしぶりに通る道。

猿田彦さんの前にはくすのきの小枝が活けてあった。

お家の塀の下にスプレーをかけてお家の人がさっとお家に戻っていった。そこを見てみた。かたばみがところどころに出ていた。少し目に痛みを感じた。

コンビニの裏手に大きな木が立っていたはずだが、新しい建物が建っていた。

その先の猿田彦さんの奥の木が枝を落とされていた。枯れているように見えた。

休憩のため少し大きな公園に立ち寄った。桜の花が風にちらちらと散るのを見ていると音が聞こえてくるようで、それを聴いていたいと思ってそのようにした。こどもたちがかくれんぼをしたり、桜やほかの花を大人の方々が写真に撮ったりしていた。

この日はそのあと軽い熱中症のようになった。大事には至らなかった。


***

ホトケノザ畑だった畑の端に残っていたホトケノザやナズナが枯れていた。薬が使われたのだろう。お家の側の端では草たちが生き延びていた。

枝を落とされた神社の桜は少しだけ咲いた花がまだ残っていた。川の向こうの公園で大きな桜が咲いているのが見える。桜はみな、たがいに呼び交しているような気がした。

畦にオオイヌノフグリが出ていた小さな畑は耕されていた。畦の草は刈られていた。


***

桜がなくなった街角。桜がいた敷地の道沿いに出ていたヒメムカシヨモギは低い丈だった。隣からアレチノギクが出て、すでに花をつけていた。

丁字路にも小さな緑が出ていた。まだ草の種類はわからない感じ。

この前この道を歩いていてばったり鉢合わせした方のお家で小さな桜の木が葉を出しながら花を咲かせていた。

きのうも通った夕日が丘は、きょうは夕日に照らされていた。桜と、赤い芽を出し始めた大きな木々。下の道から犬のお散歩の方々が上がってこられた。

帰り道、大きな満月が道の向こうにあった。伐採木置き場で切り株のいちょうが満月を背後に、何かを伝える碑のようにたたずんでいた。


***

ユッカがいた施設の跡地は一時貸出募集の看板が立っていた。向こうのほうの切り株に花が添えられているように見えた。たぶんナガミヒナゲシだろう。手前にも一輪咲いていた。

さぎの仲間はアオサギのほかはわからない。何かのさぎが水路にいた。

種類のわからないアブラナ科らしき丈の低い花が高架下の一帯に咲いていた。そういえば何年か前にもここで何か知らない草を見た覚えがある。この花だったかはわからないがそんな気がする。ずっと居たのだ。

公園のシロバナタンポポはあまり咲いていなかった。花の季節が終わったのだろうかと思いながらさらに歩いて、1つだけつぼみが出てきているのを見つけた。

この坂の向こうで桜が咲いているはずだ。その桜も見ていこう、と思って坂を下ったら、がらんとしていた。切り株が点々と残っていた。アヤメのような花とムスカリが土手の上で咲いていた。

土手のシロバナタンポポはあちこちでたくさんの茎を空へ差し上げていた。

この道で桜の花びらが転がっていく景色を見た覚えがある。去年は来ていないからもっと前だろうか。同じように花びらが路面で舞っていた。

亡くなった元警備員さんはこの団地にお住まいだった。道を行く方が警備員さんの奥様ではないかとおひとりおひとり気になった。団地に向かって頭を下げた。

伐られた桜はどこに位置していたのだったかわからなくなってしまった。芽吹いている根と腐朽しかけた切り株の跡がたがいにだいぶ離れてそれぞれにあった。どちらかがあの桜だろうか。

柑橘の木の切り株は残っていた。以前はここでは見なかったナガミヒナゲシが隣で咲いていた。

畑だった場所がこどものための施設になっていた。きつねのぼたんが出ていたのだった。施設のほうからこどもさんの声がした。こちらを見ている。手を振った。

橋の上から山並みを見る。さきほどは黄砂で山がほとんどわからないくらいだったが、いまは見えている。帰ってきたんだ、と思った。

おまえはまだ帰ってきとらんやろうが。行くんやったら、先にいちどちゃんと帰ってきてから行け。景色からそう言われた気がした。

山が見えるほうの大くすのきの林は、建てられた建物が稼働していた。くすのきの幼木は植え込みのところどころで育っていた。

その植え込みの草を見ていて、突然、どん、と何かが胸に来た。草を見ていてただただしあわせだった、そのときの感情がよみがえった。

あちらでは桜が咲いているはず、今年もヒメオドリコソウがいるだろうか、そう思って、暗くなったけれど川の土手のほうに道を選んだ。ヒメオドリコソウが1株、桜の手前で咲いていた。

夜になった川の土手は、こちら側を向いている街灯にうすく照らされていた。私は歩く。土手を外れる前に振り返った。自分が生きてきた道を振り返るようだった。


***

大くすのきの林だった場所の向かいの、シロバナタンポポが出ている道端は、草が刈られたあと黄色のたんぽぽの花が低い丈で咲き始めていた。シロバナタンポポはわからなかった。

柿の木と樫の木の跡地横の敷地は砂利が敷かれているが、端でトゲミノキツネノボタンやホトケノザやはこべやウラジロチチコグサが密集して出ていた。

カラスノエンドウとトゲミノキツネノボタンの茂みからはナガミヒナゲシが伸び出て咲き始めた。

田んぼだった駐車場の脇の花壇はいまはノースポールがぎっしりと咲いている。ビオラというのか、色味のある花がその下で咲いている。以前から居るまんねんぐさの仲間が、花壇の下で変わらず生えていた。

伐採木置き場のいちょう切り株も黄色のたんぽぽを従えていた。

枝を切られた神社の木々は緑の芽を吹き返していた。

街路樹こぶしの折れた枝は、葉もほぼ枯れたようだった。その少し先で、今度は緑の葉をたくさん茂らせた枝が折れて落ちていた。


***

交差点のチャンチンは紅色から緑への色変わりの最中だった。御年配の御夫婦らしき方々がチャンチンをめがけて来られたようにして、木に寄ってご覧になっていた。

大通りの街路樹いちょうが木陰を作っていた。ありがたく木陰を歩いた。

旧屋敷の大いちょうも自身の葉を無事に出していた。

桜が伐られた歩道へまわった。切り株の様子を見ようと思って。しかし切り株はなくなって桜の新木が植えられていた。そしてそれはもう知っていたのだったと思い出した。

2世桜もYSさんのかわいがっていた桜も花がだいぶ散っていた。深まる春を元気に過ごしていた。

道端の折れたヒメジョオンの手前で、ハルジオンを見つけた。つぼみが出来ていた。

折れたヒメジョオンはこの前は花を咲かせていたのだが、枯れていた。根元に出来ていた新しい葉もしおれていた。

ふうせんかずらが根元にいた街路樹はどうも植え枡ごと撤去されたようだった。ひとつ隣の植え枡では、今年もムラサキハナナが咲いていた。


***

ほぼ1年ぶりだと思う空き地は1年前そのままに空き地だった。草の緑が増えていた。ノゲシが高く伸びていた。以前はホトケノザが出ていたが、同じように株立ちになっているホトケノザを見つけた。やや疲れているようだった。

園庭の花壇の前で親子連れの方々がしゃがみこんでいた。何か見ているのだろうかと思ってそばを通りながらちらっと見たら、花壇の手前にぬいぐるみを置いて写真を撮っていた。

公園の段々石橋の段に、だいぶ前にムシクサがいたのだった。そこを通ってみた。段に小さなムシクサが生えていた。

普通列車が止まる小さな駅の近くに来た。以前、その駅の隣のむかしながらの日用品店で買い物をした覚えがある。道を入って行ってみた。シャッターが下りていて看板が無くなっていた。

シロバナタンポポが街路樹の植え枡にいた。拡幅工事された道なので、その工事の後そこに居着いたのだろう。ここの街でもシロバナタンポポがやや少なくなっているようだけれど、きっとそれぞれにどこかで生き継いでいるのだ。

遠くまで続く1本道をどうにか歩き終えそうだった。土手の上に上がれるようだったので上がってみた。川が流れていた。土手にはだいこんの花がいっぱい。向こうは畑が広がっていた。

川沿いに大きな木が見えた。むかしここに来たのだと土地勘がつながった。木のところへ行った。せんだんの木。ふもとに木のベンチがあったが、朽ちかかっていた。せんだんは小さな葉をいっぱい出そうとしていた。

遊歩道もむかし通ったはずだった。入ってすぐにムラサキサギゴケが両側にたくさん。ムラサキサギゴケの小径だ。少し行くとハルジオンが咲き始めていた。

街中のこの公園にもシロバナタンポポがいたはずだったが、見当たらなかった。ところどころ花が植えてあった。

ヒトツバタゴはまだ咲いていなかった。体育館からジャージ姿の方々が数人ずつ出てきていた。

ヒトツバタゴを見るためにまわり道をしたのでこちらを行くほうが近いと思い、公園を突っ切ることにした。林の木々が伐られていた。撤去されるのかどうかわからないが幹がだいぶ短くされていた。向こうの木々には赤リボンが巻かれていた。わずかに木を残して明るくするのだろう。こうやって明るくなっていく公園ばかり。

この道に来たのは木々に呼ばれたのだろうと思った。木々に向かって大きく手を挙げた。

春の小径はホトケノザやスズメノカタビラが出ていた。少し先ではムラサキサギゴケがかたまって咲いていた。


***

ノゲシが出ていた閉店したお店の前は、ノボロギクが大きくなって綿毛をたくさん開いていた。以前とは別の位置にノゲシが出ていて、とても高くなった。セイヨウタンポポは花を終えていた。

桜の跡地もノゲシがたくさん出ていた。アレチノギクは小さな丈のまま花を咲かせていた。

すみれのプランターに出ているかたばみが、ずいぶんと花の茎が高かった。こういう様子をあまり見た覚えがない。

公園の小さな木蓮の切り株は、小さく芽を出していた。

ノボロギクの角はオニタビラコやスズメノカタビラなどいろんな草が出てきて少しにぎやかになった。

ムラサキカタバミの角はムラサキカタバミが咲いていた。ホトケノザは少し疲れた様子だった。


***

ノゲシが出ていたお店の前のノボロギクやノゲシが引き抜かれて横たえられていた。ノボロギクは綿毛をたくさんつけていた。

交差点のチャンチンはだいぶ緑味が出てきた。

銀行前のこぶしはすっかり緑だった。

旧小学校のエノキは無事にしていた。

2世桜にはいくらか花が残っていた。八重桜が満開だった。その脇で、カンヒザクラが最後の一輪を高く咲かせていた。

道端のヒメジョオンの場所に差し掛かる手前のハルジオンが咲いていた。茎が3つ立っていたが、うち1本は途中から折り取られたようだった。そしてヒメジョオンは枯れていた。

道端のヒメウズはたくさん出ていた。花がたくさん咲いていた。安泰だ、と思った。このまま安泰に暮らしてほしい。


***

路地に入ってすぐ、オニタビラコらしき花の茎が落ちていた。少し先へ行くと、オニタビラコがたくさん出ていた。折られた茎がどこのオニタビラコかはわからなかった。

バスプールだった場所の横は以前から大きめの草が並んでいた。きょうはナガミヒナゲシが並んでいた。アメリカフウロなどの草と競り合っていた。

去年いちばん早くに花を見せてくれた桜は、今年はほかの桜よりも花を多く残していた。

ノボロギクの角にはタチイヌノフグリも出ていた。ツメクサも以前のように出ている。

この前は猫が鳴いていた小径。脇でツツジが明るく咲いていた。


***

ガザニアが植えられている花壇。ガザニアの花々のなかから、たんぽぽが綿毛の茎を伸ばしていた。

ポピーの花が色とりどりに並んでいるところに、ナガミヒナゲシが自分も仲間だと言わんばかりに、花をひとつ立てていた。

公園の歩道を歩いていて、ふと、何か懐かしい感覚が甦った。このごろそういうことがある。そのときどきで思い出す感覚は違う。いろいろなところでいろいろなことがあったのだ。

桜の花が高いところに残っていた。公園の中から外へ、たぶん向こうに御家族の方がいらっしゃるのだと思うが、こどもさんが話し掛けていた。

満開だったオニタビラコがいる道端に、少し前にどうも薬が掛けられたようで、生えていた草たちが弱っている。オニタビラコも別の株がいるのだが、復活できるか様子を見ているしかなさそうだ。


***

街路樹のヒトツバタゴが咲いていた。細い花だった。

並木の桜にはわずかに花が残っていた。切り株のひこばえは元気にしていた。

駐車場の入口の小さな場所に、マツバウンランとハハコグサとノゲシとウラジロチチコグサとツメクサとすみれと、あともう一種何かの草が、かたまって出ていた。ぜんぶ覚えられるだろうかと思いながら立ち去った。


***

三日月、と、おかあさんがこどもさんに教えていた。みかづき?と、こどもさんが繰り返した。建物の上のだいぶ高いところに月が出ていた。道の向こうはヒトツバタゴの花が雪景色のようだった。



*** 熊本〜宮地〜竹田市(歴史文化館、瀧廉太郎記念館、岡城)

早い時間だと思っていたが東の空が少し明るかった。アルクトゥールスはすでに天頂を過ぎて、東の空高く夏の大三角が掛かっていた。

列車の中から、朝日をひさしぶりに見た。英彦山のほうから昇ってきた。しずかな景色だった。

一昨年に熊本駅に来て外へ出たときに、草を見た記憶があった。そのあたりまで歩いてきたが、新しそうな木々が立っていて、その下の植え枡は芝生のようになっていた。やはり新しく植えられた様子の株立ちしているけやきの下で、駅構内で買ったフィッシュサンドを食べた。ごまつぶを1つ落としてしまった。

豊肥本線に乗る。肥後大津から先へ鉄道で行くのはたぶん8年ぶりくらいになる。立野のスイッチバックを通過し、しばらく行くと新しい阿蘇大橋が見えた。新しい橋を見たのは初めて。しかしその先では対岸の崖が崩れていた。崖の上のガードレールがねじまがり、道路の切れ端が残って谷へ垂れ下がっていた。
旧大橋の跡だと思われる位置に駐車スペースができていて、そこに車が何台か停まり、人が出ていた。その人たちがこちらを向いて、手を振った。何人も。列車からも何人も手を振っていた。私もすぐ手を振った。向こうの方々は後から思うとどなたもマスクをしていたはずなのだが、笑顔だと感じた。その方々の向こうに崩れた崖と道路が見えていた。
手を振り終えて、その先の阿蘇の山々を見て、はっと気がついた。この区間が開通したことの意味。鉄道が復旧、復活したことの意味。地元の方々にとってのその意味。

前回ここを代行バスで通ったときは外輪山の上を通ってきたのであまりわからなかったのかもしれないが、外輪山の山肌があちこちで崩れていた。

列車の車内を、カメラを持った方が右へ左へ行き来していた。やがて左前方に、一列に並んだシバザクラのような紅色の花の帯が見えてきた。そのカメラの方が左側の席で写真を撮っていた。

宮地駅で降りるのもひさしぶりということになる。阿蘇神社へ行ってみることにした。

道沿いの草が福岡で見慣れた様子とはちょっと違う感じがした。たんぽぽが大きい。花が高くて、花が派手に感じる。ヒメオドリコソウがあちこちに生えているのも福岡とは違う景色だった。福岡ではもうだいぶ枯れているオランダミミナグサが、いっぱい咲いていた。

阿蘇神社は楼門が立て直され、大きなプレハブの建物が建ち、その裏手で拝殿が工事されているところだった。裏の林になっている木々や境内のけやきはだいじょうぶだったようだが、境内に入る手前にいちょうの切り株があった。たくさんのひこばえを出していた。

甘味処の看板を見ながら行きがけとは別の道に入った。スーパーマーケットやお店が並んでいる。ところどころに石垣があり、土の斜面もあり、すてきな感じの道だった。オドリコソウがたくさん咲いていた。ハルジオンの花がずいぶんあかかった。石垣にはキランソウやトウバナや、あまり見ないアブラナ科らしき草が出ていた。

マッキントッシュクラシックが何台も陳列してあるお店の前を通った。お店として開いているのかちょっとわからない感じだったが、時間さえあれば立ち寄ってみたい気がした。

駅では猫駅長さんに会えた。駅長の椅子のところで掲示を見ていたら、にゃあと一声鳴いて外から帰ってきた。ほいっと椅子に乗ってすぐ眠り始めた。地元の方らしき方が入ってきて、駅長さんに話し掛けながら頭をなでていた。その方が立ち去ってから私も駅長さんの頭をなでたが、もう眠かったようで頭を動かした。そのあとは少し話し掛けて私も立ち去った。駅長さんはしずかに寝ていた。

また道を間違えた。

歴史の道というような掲示が出ている階段を昇った。段にはところどころ草が生えていた。少し草が取られたような様子も感じたが、途中にすみれが出ていた。

階段を昇った先からは町が見下ろせた。緑の濃い場所だったけれどどんな草が居たかいま思い出せない。藤が咲いていた。

記念館の裏の切り立った斜面に取り付く石段も少し昇ったが、そこに生えていた草も思い出せない。いちどきにたくさんの草を見ると自分はもう覚えることができなくなっているようだ。

新しい図書館の前を通り、角を曲がってもとの図書館の場所を探した。最初は別の場所を勘違いしてそこの新しい建物の写真を撮った。その先へ歩くと、もとの図書館の建物がそのまま残っていた。別の目的で転用されている様子。ちょうど手前に選挙の告知版が建てられていて、その告知版をどなたかが写真に撮っておいでだった。私は私でもとの図書館の建物を写真に撮った。

急な坂を降りるとオドリコソウが立ち並ぶ小径だった。

ピアノのオブジェは分かれ道からすぐの所だった。ピアノは緑に囲まれていた。鍵盤は落ち葉などが少し積もっていた。いつものように即興と「農夫の歌」の一部を弾いた。心の中だけで音がした。鳥の声がしていた。

城の石段を上っていると、上から手すりにつかまりながら御高齢の方が降りてきた。あなた元気ね、あしどりが早くて、私は毎日来とるけどそんなに歩ききらん、と、元気そうにおっしゃった。

まったく時間がないので城跡を駆けた。広場になった野原で御家族らしき方々が何か遊び道具を持って遊んでいた。もう少し先まで行くことにした。見晴らしが良くなった。阿蘇の山々、阿蘇の手前の山々がとてもとても大きく広がっていた。いや、そこまでの空間が大きく広がっていた。

走って急いで駅へ着くと発車時刻を勘違いしていた。まだ15分近くあった。駅長さんは見当たらなかった。入浴施設でおみやげを買って駅に戻った。ホームを離れる最後まで、まちは青空で明るかった。

熊本の方向へ向かう列車の車内に、正面から夕方の日差しが明るく白く差していた。

行きがけは神社のほうへ行ったが、こちらのほうに大きな木がいるはずだったので、今度はそちらのほうへ歩いた。お家の八重桜が満開だった。別のお家の柿の木も以前見た覚えがあった。若葉だった。その先に、お家の敷地ではなく道沿いに小さな空地があって、そこに大きな木が立っていた。たぶんこの木だったろう。若葉をたくさん吹いていた。にれの仲間のような葉だった。もう夕日が沈みそうに赤かった。

そこへ向かう途中に道路の対岸の歩道を地元の方らしき方がお散歩だったのか用事だったのか、ぽつんと歩いてらっしゃったのだった。そちら側の歩道を行った。墓地の縁を細めの菜の花が飾っていた。

夜の熊本駅前にもういちど降り立った。株立ちしている大きなけやきの下のベンチには今度はどなたかが掛けていた。そこへは行かないで、もういちど駅前の景色を見て、駅構内へ戻った。


***

丁字路は草の姿が無くなっていた。

駐車場の角にナズナがかたまって生えていた。今季ナズナを見るのはこれが最後になるかもしれないとふと思った。いや見に来たければここに来ればいい、と思い直した。

桜は数本の木にそれぞれ数輪ずつ咲いていた。もうすっかり緑になっているが、よく見れば少し遠くからでも花が残っているのがわかった。


**

道端のイヌノフグリは今季は見逃されたのか生き延びることができたようだ。2株、手のひらを広げたくらいに茎を広げて、うち1株は紫色になり、もう1株は少し色褪せてきたようだった。


***

道端のヒメジョオンは立ち枯れていた。根元に一点の緑が見えるがヒメジョオンの葉かどうかわからない。


***

学校帰りのこどもさんから、さようならと手を振ってもらった。とっさのことで、さようなら、と笑顔で頭を下げるしかできなかった。

以前ナガミヒナゲシを見た信号のふもとでは、ナガミヒナゲシやキキョウソウやノミノツヅリやマツバウンランやヒエガエリが出ていた。にぎやかだった。この時分がいちばんにぎやかかもしれない。

向こうのほうに緑が見えたのでその道へ入った。たぶん桜だろうと思いながら。近づくとたしかに桜だった。公民館のような施設の庭だった。こどもたちがゲームをしているのか、建物の脇で集まっていた。

とてもむかしに通っていた道だったがマンションができたりして大きく変わっていた。むかしアメリカ軍が駐留していた頃に建てられた様式のお家があった。そのお家は以前のままのような気がした。

大きなくすのきの小公園に立ち寄った。お母さんが後についている小さなこどもさんが小さなボールを投げた。くすのきに花が咲いていた。

アパートの工事をしていた。取り壊すような様子だった。敷地の中に中背の木が見えた。草はどういう草がいただろう、と思って振り返った。敷地の入口に深い緑の何かが見えたが、草なのかどうかわからなかった。

桜は花らしき白いものがちらっと見えるだけになっていた。

ノボロギクの角のノボロギクが姿が無くなっていた。他の草は残っていた。ノボロギクだけが大きく育っていたのでどなたかの目についたのだろうか。


***

こぶしの小公園では、ギターケースを抱えた若い人がベンチでもうひとりの若い人と話していた。

線路際の場所は草が枯らされたようだった。この線路脇だけでなく、少し離れたこの鉄道会社の系列の敷地沿いでも、草が枯れていた。

ひさしぶりにいつもとは別の道を行く。ふと、祖父もこの道を歩いていた、という思いがよぎった。

いろいろと雑多な物が置いてあったガレージのお家が無くなり、大きくない集合住宅が建っていた。その先の、私がこの道を通り始めた頃にはすでにやっていなかったと思う飲食のお店の窓から、ラジオかなにかの声が流れてきた。

柿の木が伐られたポケットパークに立ち寄った。柿の木の切り株が見つからない。抜根されたのかとあきらめかけたとき、石の脇に芽が出ているのを見つけた。もともとこの石に接して柿の木が出ていたようだった。切り株とも言いづらいような、小さな幹の跡があった。

教会では礼拝が行われているようだった。空が春色をしていた。

行きがけに通ったこぶしの小公園の横を通った。行きがけのときにそこにいたギターケースの若い人たちが、ベンチから立ち上がったところのようだった。立ち上がってからしばらく立ち話を続けているところだったのかもしれない。


***

閉店したお店のシャッターの前でたんぽぽが1輪咲いていた。

2つ信号の場所ではヒメジョオンではないかと思う草が伸び始めていた。オッタチカタバミだと思う草もけっこう出ていた。オニタビラコも花の茎を高く上げていた。

エノキの小さな切り株の場所のとなりで、ゲンノショウコみたいな小さな花が咲いていた。しかしいま思うと、ゼラニウムの仲間ではないかと思う。

クサギのトンネルだった場所ではクサギも復活しつつあったけれど、クサギとは違う何かの木が小さな花を咲かせていた。高いところなので花のくわしい様子は見えない。

ホタルブクロがつぼみをつけていた。

街中の植え込みだけれどヒメウズが咲いていた。少し歩くとトウバナがたくさん咲いていた。

ここの学校の塀の向こうで以前はウマノスズクサが毎年出ていた。塀を造り替えてから出なくなった。今年も出てなさそうだった。

だいぶ前にイヌノフグリが出ていた小さな道を行く。ところどころ草が生えているがイヌノフグリは見当たらない。

ふと目を遣ったたんぽぽがどうもシロバナタンポポのような気がした。いま咲いている花はなく、綿毛や綿毛になろうとしている花のあとがあるだけ。総苞外片を見ると小さな突起がある。シロバナタンポポだろう。ここでだいぶむかしシロバナタンポポを見た記憶が甦ってきた。それからずっと生き継いできたのだろう。

この道を歩くのは少しつらそうだと感じた。学校の裏手でフェンスが続き、その下はきれいに舗装されている。しばらく歩くとハイビャクシンの植え込みの中からマツバウンランがひょいと花を咲かせていた。

オオマツヨイグサなのだろう。初めて見たような気がする。細長い緑地にいくらか寄り集まって生えて咲いていた。

ナルコユリは元気に咲いていた。オドリコソウも。

中心街に出るとベニバナトチノキが夜に明るく咲いていた。


***

以前お店とお店との間にヨウシュヤマゴボウが出ていて、そのヨウシュヤマゴボウにテープで支えをしたりしてだいじになさっていた様子だったのだが、昨年枯れてしまったようで今年は出ていない。同じ位置に今年はオニタビラコが出ている。花茎を伸ばしていた。

タンポポの場所に草刈りが入った。タネを育てている途中の花茎がたくさん切られていた。タネができるかどうかわからないが、茎を土に軽く差した。

ひこばえが出ている桜の切り株のあたりも草が刈られていた。ひこばえは残されていた。

桜の跡地のアレチノギクはつぼみをつけていた。

水路が埋められた歩道のベンチ脇で、マツバウンランとユウゲショウが花を並べていた。反対側では夕日が沈んでいくところだった。


***

建物の間に茂っているクサイチゴが実っていた。

さっき商店街で前を歩いていた、犬を連れた方がずいぶん前を歩いている。商店街で犬が私のほうをたびたび振り返っていたので覚えていた。ここまでけっこう距離がある。どこへ向かうのだろう、お帰りになる途中なのだろうかと思った。低いブロック塀に腰掛けて休憩なさったのでかなり追いついた。追いつくと思ったら、横の動物病院へお入りになっていった。

ランタナがいた電柱のふもとは、ニシキソウが小さく出ていた。

パン屋さんでサンドウィッチを買って、いつもと違う道で公園へ向かった。保育園の駐車場でシロツメクサとアカツメクサがたくさん咲いていた。

この道では以前シロバナタンポポを見かけた。もう咲いていないだろうと思って歩いていたら、どうもシロバナタンポポらしき花後のたんぽぽを見かけた。小角突起がある。シロバナタンポポでまちがいないだろう。何株もいる。そのうち1株に、閉じ加減の花があった。見られると思ってなかった花。うれしかった。

もと水路際のベンチのところはマツバウンランとユウゲショウのほかに、以前から見かけているキュウリグサ、ツメクサ、スズメノカタビラ、それからまだわからないキク科ふうの草がいた。

こぶしの小公園ではハハコグサが咲いていた。きょうも人がいたので立ち寄らなかった。

山があおあおとしていた。向こうの山々はいまの自分には高くて登れなさそうだが、手前の山はしばらく前にも登った。また山へ行きたい。


***

雑木林だった場所がしばらく前に切り開かれたが、その場所が保育園になっていた。以前の木は見当たらない。園庭に新しい木が見えていた。

体育館の裏手になる場所だが道からはこちらのほうが表。ハルジオンとハハコグサが同じくらい立ち並んで咲いていた。かえるの声が聞こえてきた。

マンションができて半分になった畑は、鋤き返されていた。レンゲソウが少しだけ花を残していた。

排水溝のくすのきは元気だった。

小さな公園のまんなかに立っている小さなクロガネモチ。実がひとつ見えた。

病院のプランターに以前タツナミソウがいたのだがそのプランターがすべて無くなっていた。

5年前にナガミヒナゲシを調べて歩いていたときに見た、ブロック塀の穴からナガミヒナゲシとムラサキカタバミが一緒に出ていた場所。ナガミヒナゲシは見当たらず、ムラサキカタバミが咲いていた。

少しひさしぶりに通ると空き地ができている。向こうのほうにナガミヒナゲシがかたまって咲いていた。

道沿いのお家の前だったか、小さなぬいぐるみのようなものが置かれていた。何だったか…と考えて、くまのプーさんのイーヨーだと思い出した。アニメのほうのプーさんの。

そのイーヨーを見て先へ歩きながら、これまで何度も通った道でいろいろなキャラクターの人形を前に置いているお店のことを思い出した。そこのキャラクターのことも書こうと何度も思ったことがあるけれど、まだ書いていない。

マンションの植え込みに小さなナガミヒナゲシが林立していた。その奥に大きなナガミヒナゲシがまとまって出ていた。きれいに分かれていた。

街路樹くすのきの切り株からひこばえがいくつも出ていた。

川岸は遊歩道を造っているようだった。このあたりは芭蕉がたくさんいたけれども…と思いながら橋を渡ると、橋のたもとに芭蕉がいた。

開いているのを見たことがないお店の前の鉢が無くなっていた。ここはオニタビラコなどが出ていたのだった。

三叉路のベニバナトチノキが咲いていた。

大通りの思いがけないところにカンサイタンポポが咲いていた。私が知っているいちばん近いカンサイタンポポの場所からも相当離れている。すみれと一緒だった。

公園にトイレに立ち寄って遠回りになった。桜の木々が守る墓地の横を抜け、大通りに戻る。その手前のお家が木々草々に覆われていた。ムラサキツユクサが花を添えていた。

駐車場の向こうの木はやはり柿の木のようだった。そうすると以前から見ていた柿の木はやはりここなのかもしれない。

大通りから外れて歩く。柿の花が路面にたくさん落ちていた。あとから思うとここだけだった。

自動販売機の裏側の小さな柿の木も無事だった。

花壇の横のイヌビワはまた切られていた。

クサギのトンネルだった場所の何かわからない植物はナワシロイチゴだった。花が咲いていた。

ホタルブクロが咲いていた。

道端のヒメウズは元気だった。花も咲いていた。

だいぶひさしぶりの道に入る。いまはやっていない様子の病院の植え込み。以前も草がいろいろ出ていた。きょうはハルジオンとヒメコバンソウが立ち並んでいた。

ヒメツルソバの角はヒメツルソバが1か所だけぽつんと出ていた。また建物が無くなっていた。

ここにはアマリリスが出ていた…と思いながら差し掛かった。道の対岸にアマリリスの花姿が見えた。つぼみが多かった。

行きがけに対岸から見たときには実がひとつ見えていた何かの柑橘の木。帰り道に下から見上げてもわからなかった。お家の駐車場に何かの苗らしきポットがたくさん並んでいた。

去年だったか、生け垣に仕立ててあるジャスミンの花が咲いていた場所で、花がいっぱい咲いていた。そのお家の方らしき方々が建物に入っていくところだった。見えていたかどうかわからないけれど、立ち止まって花の香りを嗅いだ。

行きがけに駐車場のブロック塀の下に枯れた草が並んでいるのを見た。薬だろう。その敷地を過ぎた次の敷地の際にひざ丈くらいのイヌビワが茂っていた。帰り道、そのイヌビワに歩きながらそっとさわった。

排水溝のくすのきにもそっとさわった。

新しく駐車場になった場所のサインポストの真下に、コマツヨイグサがたくさん花を咲かせていた。誰かを待っている人のようだった。


***

ガザニアの花壇に今度はドクダミが出ていた。花が咲いていた。

信号機のふもとにはチガヤの穂が出ていた。この前は気づかなかった。

公園にはフウの若い実が落ちていた。

キヌゲチチコグサやチチコグサが出ていた場所が草刈りされて何日経ったか、1株だけ見たハハコグサが復活していた。

こぶしの小公園もハハコグサが立ち並んでいた。


***

ムラサキカタバミの角の草はイヌビユだった。また忘れていた。穂が出ていた。

こどもたちや若い人たちが公園を駆け回るのを外から見遣る。いちょうの木の枝々に何か丸いものが見える。ぎんなんではないだろうと思いながらも枝を近づけて見てみると、実だった。あおあおとしていた。

**

道端のイヌノフグリは枯れてきた。でもこの春は枯れるまで草むしりに遭わずに済んだということでもあった。


***

ガザニアの花壇はガザニアが半分近く綿毛になっている感じだった。

親子の方々が線路に向かってこちらとあちらで待っている様子だった。少し待ってみたくなったが先へ行くことにした。

あめんぼというのは動いたときに雨粒の波紋のようになるからなのだと公園の噴水池で納得した。

信号機のふもとではキキョウソウが咲いていた。ずいぶん長く茎を伸ばした。

桜の跡地の脇ではナガミヒナゲシが花を終えて立っていた。アレチノギクは花を並べていた。


***

買い物に出たけれど歩くのが疲れて公園に入った。桜の下でひざに手をついて少し休んだ。桜はすっかりみどりになった。地面の根からも葉を広げていた。


***

街路樹の下のホタルブクロが咲いていた。こちらは白。たくさんではなかった。

スーパーマーケット跡地は草刈りの後、まだはっきりわかるほど草が成長していない。歩道側では跡地内にも生えていたセイタカハハコグサがこちらは刈られずに大きく育っていた。

クサギのトンネルだった場所の少し先のヒメウズは枯れていた。

手向け花が二束捧げられていた。交差点は信号待ちの方々が並び始めていた。

建物の犬走りでノゲシがたくさん並んでたくさん綿毛をつけていた。

ポストがあるほうの道端のヒメウズはあおあおとしていた。花も咲いていたようだった。茎のひとつにそっとさわった。

街路樹のクロガネモチはところどころで花を咲かせていた。花を終えたムラサキハナナがテープで緩く束ねられていた。

ビルが建ち並ぶ中で何かの虫が横切った。見るとウメエダシャクだった。けやきの並木のほうへひらひらと飛んでいった。


***

ひさしぶりの道を歩く。ここにお弁当屋さんがあったのかと気づく。生活状況が変わると気づくことも変わるのか。

パン屋さんは休みだった。

街路樹いちょうの切り株が残っている歩道。切り株のひとつから、ひこばえが何本もまっすぐ伸びていた。しかし以前はひこばえが林か森のようだった覚えもある。何度か切られたのだろう。

もうひこばえもない切り株はいろいろな草を従えていた。アレチノギクがたくさん綿毛を開いていた。

ここはヌカススキではなくハナヌカススキのようだ。向こうから歩いてくる方がここに届かないうちに、立ち上がった。

公園の入口が無かった角にどうも入口を造るのではと見える工事をしていた。ここの近くで小さな木々に花を見た覚えがある。その木々のところまで掘削が及ぶのか、木々の場所をはっきりと覚えていず、わからなかった。

売店で買ったアイスを外のベンチで食べ終えると、バーに「むだづかいして はずれ」と羽の生えた百円玉が飛んでいくイラストが出てきた。

木立ちの向こうはシロツメクサの広場のようになっていた。白かった。

歩いたことがあるかどうかわからない道。住宅地を歩くと、自分はもう少しがんばっていたら家族を持ってこういう家に住める暮らしができたかもしれない、という思いがよぎってつらいことがある。しかしこのくらい高級感あるお宅ばかりだとかえって非現実的で自分が苦しくないと気づいた。

その住宅地を抜ける頃に、むかしながらのお宅の庭木なのか、ぴわの実らしき実が路上に落ちていた。

もともと寄るつもりだった別のパン屋さんでパンを買った。

やはりひさしぶりに通る小さな道。ここにも高級そうなお宅が工事中だった。その先はむかしからのお宅。敷地の角に、ハナニラだったかいま思い出せない何かの花と、くすのきの幼木が隣り合っていた。

角のイヌビユは大きく育ったようだった。対岸だったのでそちらまで渡らなかった。

知り合いの方のお家を壊して新しく建ったアパートの角にナガミヒナゲシがいた。あまり大きくない株だったが、花を終えた茎をいくつも立てていた。


***

中心市街地公園は柵が張り巡らされていた。座る所の無い通路空間だけが残されていた。手前の角の花壇に何人かの方が腰掛けてめいめいのことをなさっていた。

デパートの公開空地のベンチもテープが張られて封鎖されていた。

市役所の公開空地もテープが張られていた。サックスおじさん銅像がひとりでベンチに掛けていた。テープが掛かっていない手前の石に拠り所無く数人の方が腰掛けていた。

緑のビルの隣の公園も柵が立てられていたが、こちらは石のベンチが残されていた。休憩所近辺では休憩の方々がやや密度高くお過ごしになっていた。

同じ公園の再開発された一帯は石畳の部分が広くなって、日差しの照り返しが強かった。ここもベンチは時間制限されているようだった。日中のいまはベンチが利用可能で、ぱらぱらと座っている方が。木立ちが残されている場所のほうが好まれている様子だった。

その公園のすぐ近くの、やはり再開発されて木々が新しくなった公園は、人影がなかった。木陰が無いからだと思った。

まもなく再開発の工事が始まるという公園。こどもさんが遊んでいた。日差しを避けて、木陰になる場所で多くの方が休んでおられた。芝生の広場で親子さんがピクニックのようなスタイルで過ごしておられた。

草を見て歩いた。途方に暮れそうだったが記録を取った。公園の南半分は草が刈られているのか踏みつけが多いのか、芝とシロツメクサがほとんどだったが、北半分、美術館の側はいろいろな種類の草がいた。ヒナギキョウがあちこちで咲いていた。チチコグサが多い。ピンポイントで、ハハコグサ、イヌクグ、すみれの仲間、ツボクサ、スズメノヤリ、クサイなどの草が出ていた。

苔のあいだから白い小さなものがぴょこぴょこ出ていた。そのときは何かわからなかったが、帰って調べてみるとどうもキノコらしい。シロソウメンタケモドキというものらしい。そしてこの仲間のキノコが、ムーミンのニョロニョロに似ていると話題になったことがあるようだった。ちょうど美術館ではムーミンコミックス展が始まっていた。タイミングというか機縁というのか。

美術館の裏では横になっている方もおられた。お勤めを抜けてきた様子の方、散歩らしき方、暑さを逃れてきた様子の方。都市には木陰が必要だと、このような場所が必要だと、はっきりと感じた。

暑くて、やまももの木の下で休んだ。空は高層の雲。飛行機雲が何本も同じ方向に走っていた。

以前この公園のやまももの木から実を採って食べたのだった。タネをその木の近く、少し離れた位置に置いたのも覚えている。その木は今年も実を蓄えていた。まだあおかった。

交差点のチャンチンはあおあおとしていた。街はいつもよりは人が少ないような気がした。


***

きょうも市街地公園の草を見て歩いた。最初の公園はたくさんの種類の草がいた。中央は芝生広場だがそこは歩かず、外縁部だけを歩いた。途中に喫煙スペースがあってそこは急ぎ足で過ぎた。そこだけたくさん人がいた。

その公園の最近再整備された場所は芝生と石畳になってしまって草の種類が少なかった。小さなこどもさんが枝垂桜の盛り土に登って遊んでいた。お母さんが離れた位置から見守っていた。

もう1か所最近再整備された公園は芝生のなかに小さな草がぽつりぽつり生えているだけだった。角のラベンダーが元気だった。

小さな公園に立ち寄った。うっそうとしている。でも仕事途中らしき方々がところどころでくつろいでおられる。ムラサキツユクサが同じようにところどころで咲いていた。

そしてまもなく再開発が始まるという公園。ここの草はこの前調べたのできょうは少し歩いてまわるだけ。この前御家族が遊んでいたあたりで、きょうはジャグリングの練習をなさっていた。

バラのトンネルらしき場所でハハコグサが咲いていた。

やまももの木のところに寄った。幹に手を当てた。少しひんやりした。なにごともなく落ち着いていた。


***

お散歩の犬がこちらを見て立ち止まったので、こんにちはと挨拶した。お連れの方がちょっと笑っていた。

カイヅカイブキの生け垣のお家で何かの木につぼみらしきものがたくさん出来ていた。

道端のシロバナタンポポは閉じたばかりの花があった。ここのシロバナタンポポは元気だ。少し歩いた先に1株、たくさんの花の茎を立てていた。

その向こうのお家から犬が吠えていた。手を振ると吠えるのをぴたっとやめてくれた。

公園は夕方とあって人がだいぶ少なかった。若い方々がところどころで遊んだり談笑したりしていた。その脇でひとり、スケートボードを黙々と練習している方も。

踏切を渡るとトウバナが塔を高く立てていた。

たしかこの角でナズナが咲いていたのだったか。ナズナはわからなかった。車のライトがスズメノカタビラの小さな穂を照らし出していた。

もう暗くなった公園で、小さなこどもさんが遊んでいた。お母さんらしき方がついていた。

ノボロギクの角はノゲシが高く立っていた。少し離れてアレチノギクがやや低く立っていた。


***

砂利敷だった駐車場が舗装されていた。エノコログサなどいろいろな草がいた記憶がある。舗装は隙無く隅々まで行き渡っていた。

丁字路は草が復活していたようだったが確認まではしなかった。


***

ブロック塀だったかコンクリート壁だったか、隙間からホトケノザの葉が出ていた。若葉のようだった。

以前ランタナが出ていた電柱の近くの道端のランタナが、この前通ったときになかったような気がしたのでそこを通って見てみた。切られていた。小さな切り株があり、葉が少しだけ残っていた。

信号のふもとの草は取られていた。

すみれのプランター手前の、ガザニアが植えられていたプランター群が、なにか別な花に植え替えられていた。すみれのプランターはポーチュラカらしき草が植えられていた。すみれもガザニアもプランター内には見当たらなかった。プランターの下のタイル舗装の隙間に、すみれの葉が1枚出ていた。

メタセコイアの木の高い所を、風が長く渡っていた。黄砂だけれど青空。

公園出口へ向かっていると、くすのきの落ち葉がつむじ風に舞った。ヤコブの梯子が降りていた。

びわの種子ではないかと思う種子が路面に散らばっていた。たくさん踏まれたようだった。

こぶしの小公園入口にはハハコグサが変わらず立ち並んでいた。変わらずというか、だいぶ綿毛になっていた。近くにはアメリカフウロもいるのが見えた。


***

石垣の草を見て歩いていると、石垣の向かい側でプランターの草を抜いている方がおられた。

クサギのトンネル手前の擁壁に出ていたヒメウズが見当たらなかった。擁壁の草がどうも取られたようだった。ヒメウズはこの前に見たときには枯れていたのだった。それでもなくなってしまうと寂しかった。

スーパーマーケット跡地ではヒロハホウキギクだろうと思う草が伸び始めていた。

道端のヒメウズは元気にしていた。もう花は見当たらず、実がはじけたあとがいくつも残っていた。


***

公園のあちこちでサンゴジュがたくさん白いつぼみをつけていた。いくらか花も咲いていた。みつばちが来ていた。

そのサンゴジュの花を写真に撮っている方を見かけた。声を掛けたかったがその方はそのまま立ち去っていった。

こどもたちだけで遊びに来る公園だというイメージがなかったが、こどもたちがやってきて、野外音楽堂のステージで遊んでいた。その声が静かな公園を少しだけにぎやかにしていた。

大通りの2つほど入った筋を歩く。深い森のような緑に囲まれた料亭らしきお店もあり、空き地に草が立ち並んでもいた。

川沿いに帰ることにしたが、この道だとパン屋さんなどちょっと食べ物が買えるお店がない。それはしかたないと思って歩いていたら、市場の端に差し掛かった。いちばん端のお店がパンを置いていて、ありがたくパンにありつくことができた。

河原の遊歩道でパンを食べた。少し離れた所に鳩がじっとしていた。来るのではないかと思ったが、来なかった。そのうちいなくなっていた。

公園の出口の大きなくすのきが強く剪定されていた。なぜここまで切られたのかわからない。落ち葉だろうか。少しのあいだ見上げた。

その公園の枝垂桜が姿を消していた。いま思うと姿が無くなったのはもっと前だったかもしれない。

学校の敷地の隣にあったお家が取り壊されたのは知っていたが、その敷地が学校の敷地に組み込まれていた。草がたくさん出ていたお家だったのだが、道に沿って犬走りのようにわずかに裸の地面が残っていて、そこに草が出ていた。ハルジオンが咲いていた。

市場跡は大きな建物が建ちつつあった。敷地外周にエノキが出ていたのはそれぞれに育っているようだった。

バス停のすみれも無事だった。

閉店したラーメン屋さん。けっきょく一度も入らずじまいだった。すみれが立ち並んでいた。オオキンケイギクも片隅でかたまって咲いていた。

桜の小公園の手前で黄色いキク科らしき花を見つけた。種類がわからない。写真に収めた。

ブロック塀のイヌノフグリは枯れていた。


***

緑の濃いお家。柿のように梅が実っていた。

めったに歩かない道を歩けばいろいろ知ることがある。このお店は定食があるらしい。その隣に駄菓子屋さんがあるのは知らなかった。

このお家は草をだいじにしてあるのかもしれない。ガクアジサイの花とドクダミの花があざやかだった。

その少し先のお家も草が出ているなと思って通り過ぎていたら、草のあいだからイチョウの幼木が出ていた。

斜め道のシロバナタンポポはだいぶ枯れてきたようだ。おつかれさま、と声を掛けながら行く。この道さいごのシロバナタンポポのところへ来た。その株はまだしっかりしていた。花はさすがにないなと見ていると、つぼみを用意していた。

自分はけっきょく何を一生懸命やらなかったからこんな人生になってしまったのだろう。そんなふうに考えることはどうかしていると思いながら高級そうな住宅の並ぶ小道を歩く。以前から草に取り囲まれている駐車場に差し掛かる。ナガミヒナゲシやイヌムギやノゲシや、いろいろな草がいっぱい茂っている。少し元気が出た。

公園のくすのきの下の台ベンチでは文字どおり大の字になって寝ている方がおられた。目をやらずに通り過ぎた。

外出自粛の時間が来る前に家にたどり着くのは無理なようだった。こぶしの小公園のハハコグサはもう暗くてよく見えなかった。


***

交差点のこぶしに小さな実が見えた。

公園は何か撮影をしている方がちらほら見えた。ランドセルを背負ったこどもさんが鳩に囲まれていた。

公園のやまももの実を取って食べている方々が。私もそのやまももの実を食べようと思って立ち寄ったので、1つ取って食べた。ちょうどよい甘さだった。その方々に会釈した。日本人はこの実を食べないの?と聞かれた。ネバールではこの実は有名だよ、と。
おいしいですよね、とお話しした。

早く帰らないといけないとなると少し気ぜわしくなる。あまり道沿いの草や木を見ていられない。

タチアオイと書かれた札が立てられていた。赤のタチアオイがあざやかに咲いていた。

桜が更新されてしまった道はあまり歩きたくなくなった。それでも、歩道の車道側に生えている草を見ながら歩く。色褪せた感じのチチコグサモドキが自分の場所を守っていた。

舗装も新しくされた歩道の内側に何か草が見えた。近くへ寄ってみたが、まだ種類がわからない感じだった。

この街は古くからの緑はいらないのらしい。そう思いながら大きなけやきの通りを歩いた。この通りもゆくゆくはどうなるだろうか。

マンション脇のフェイジョアの花がそこだけ明るくしていた。

施設横の犬走りには大きなひまわりが立った。

道端のヒメウズはこの前とそう大きく変わっていなかった。葉は緑で、種子は飛ばした後のようだった。


***

ひさしぶりの緑道は緑が濃かった。

あまりきちんと立ち寄ったことがない公園に足を伸ばした。そこまで大きくない公園だけれど、広場でこどもたちや親子連れのそれぞれのグループがそれぞれに遊んでいた。

川岸に降りられるが岸は丈の高い草が一面倒れていて下りづらかった。小さなこどもさんを抱いたお父さんが階段を下りかけて、岸には出ずに上がってこられた。セイバンモロコシがもう実っていた。

山を眺められる土手のベンチに掛けた。後ろにけやきの木、となりに小振りのメタセコイアの木。空は高い雲がいっぱいで、見える青空が近くて遠かった。この空の色が懐かしかった。

パン屋さんの近くの空き地はコマツヨイグサがたくさん咲いていた。そこにこどもさんが駆けてきて、空き地へは入らずに脇の電柱をぐるっと回るようにして止まった。その後からお父さんらしき方がやってきていた。

ナズナが出ていた角はもうナズナの姿形はない。さまざまな草がそれぞれに伸び上がりつつあった。


***

公園で今年初めてのネジバナの花を見た。まだ咲き始めで数回ねじれている感じだった。見られると思ってなかったのでうれしかった。

その同じ公園でコナスビを見つけることができたのもうれしかった。

やまももの実はすっかり赤くなった。

こがねむしの仲間だと思う甲虫が路面にあおむけになっていた。ちょっとだけ動いた気がしたので気がついた。近づいて見ると、足の先がどの足もない。鳥につかまってこうなったのかわからないが、歩けなくなっている。近くのサンゴジュの花に乗せたが落ちてしまう。少し離れた所に花壇が見えたので、持って行って地面近くの花に何度も乗せた。そのつど、ばたばたして落ちてしまってまた乗せることを繰り返したが、何度目かで、花の上ではたと止まった。何か悟ったように。そのままにして立ち去った。


***

桜の切り株から出てきたひこばえは引き続き見守りを受けているようだ。腐朽した切り株の中からくすのきのような幼木が出ていたのだがそちらはどうも切られたようだった。

マンション建設現場の端のアレチノギクは見当たらなくなっていた。フェンス沿いにノゲシが立ち並んでいた。

丁字路はこの前は小さな草が数本見えたが、きょうは1本だけ立っていた。

公園の遊歩道に大きな赤い実が落ちていた。なんだろうと木を見てみると、札が「やまもも」と書かれていた。ほかのやまももに比べて段違いに実が大きい。樹上にもたくさんなっている。不思議に思いながら路面と木を見比べていたら、通り掛かった親子連れのこどもさんが「何の実だろう」と寄ってきた。札に名前が書いてありますよ、とお教えした。お母さんと2人で少しのあいだ、木と路面の実を見ながらお話しした。

いつも公園を出る前には蟻をできるかぎり払って出るけれど、ときどき蟻を連れて出る。きょうも連れて出てしまった。いちど振り払おうとしたが手に残っていたので、帰りたいのだろうと引き返した。さっきまでいたくすのきの下に戻った。蟻がついている手をはたいた。蟻は地面に降りたのだろう、すぐわからなくなった。

その前に歩いていた道沿いで、ふと見た位置にトキワハゼが花束のように花をぐるりと咲かせていた。

高架工事中のその高架の向こうからときおり夕日が強く差していた。

最近空き地になったのだと思うがいろいろな草がみずみずしく生えている。キキョウソウがあざやかに咲いていた。

こぶしの小公園はハハコグサは見えなくなった。ハハコグサが出ていたあたりにすみれの葉が並んでいた。


***

駐車場の柿の木が葉が出てなかった。幹も元気が見えない。枯れているようだった。剪定されてそのあと出てきた様子の数の少ない小枝が、裸のまま空をつかむようにしていた。

明るくなった公園は初めて入った。誰も人はいない。以前からいるくすのき。桜。芝生といくらかの草。

ときどき中を通って行く小さな公園。ここも誰も人はいない。草を見てまわった。チチコグサがたくさん元気にしていた。

信号で足止めされたので小道のほうに入る。歩いた先の小さな公園で休むことにした。ここは変わらない。くすのき、柿の木。ハナヌカススキが、もう枯れていたけれどたくさん地面を飾っていた。

その先へはもう歩けそうになかった。引き返した。

耕された畑の畝に、何かの草が1株出ていた。少しねじ曲がっていた。これから伸びて行くのだろう。


***

ちょっと気になって公園に寄った。この前は見つからなかったイヌクグを見つけた。自分の観察力はこのくらいのものだと思った。

ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは今年も元気だった。花の穂が成長途上に見えた。

お屋敷跡のいちょうも元気のようだった。

ひさしぶりの緑道ではネジバナを見かけた。まだ咲き始め。数人の方々が集まっていた。となりに猫たちが集まっていた。

たくさんの植木鉢やプランターを置いているお店。お店としてやってらっしゃるのかあまり定かでない。この日も何か目にとまったのだけれど、あまりにいろいろすぎて何の植物だったか種類が思い出せない。

立ち寄った公園は以前はベンチの下にフランスギクが咲いていた。いまはそこにはいない。花壇では少し咲いていた。学校帰りのこどもたちが横の道をおしゃべりしながら通り過ぎていった。

橋の上から、小学校低学年くらいのこどもさんが2人、岸の護岸あたりを見ていた。ほら見える?あれ、野いちごだよ。私も後ろから見てみた。いちごらしき実は見えなかった。クズの実が見えた。

食べ物屋さんに寄ろうと道を変えたが、店頭のお値段を見てあきらめた。

以前も通った、歩道に木々が立ち並ぶ場所。モミジバフウだった。学校帰りらしきこどもさんたちが楽しそうに通り過ぎていった。

道端の蘇鉄はだいぶ葉を伐られていたが元気だった。ひこばえというのか、脇の芽がたくさん出て育ちつつあった。

次に立ち寄った公園ではこどもたちがいっぱいだった。周縁部を歩いて草を見る。公園の端でカンサイタンポポがわずかに花を咲かせていた。

その次の公園は最近工事が始まって林が切り開かれたと聞いていた。以前立ち寄ったときにはその林の丘に登って休んだのだった。いいところだと思った覚えもある。目の前にただの土が広がっていた。向こうに、移植されたと聞いていた大きなくすのきが見えた。いくらか小さな枝まで残してあるようだったが、葉はわずかだった。まだ高さが残る土色の丘の上に、アカマツが並んでいた。街路側にはけやきの並木。どの木にも赤リボンが巻かれていた。

小さな道を歩いて別の公園へ。もう歩いて回る気力はなかった。ベンチで休んだ。けやきの木の向こうに飛行機雲。お散歩の方々が遊歩道を通り過ぎていった。

大きな池に出た。ここも以前通った場所。高架下へ行くほうが早く帰れるが、池のほうを選んだ。土手の道はカモジグサが立ち並んでいた。そのなかにところどころ、ナワシロイチゴだと思う赤い実が。高校から帰っていくのだろう自転車の方々がときおり追い越していった。池の向こうの神社の森。遠い山、近い山。この道でよかったと思った。

川を渡る橋の上の歩道で、立ち止まって私が来た方向を眺めているお勤め帰りふうの方が。少し行き過ぎて私も振り返った。夕雲があかね色だった。その方は眺めておいでのままだった。


***

踏切信号機のふもとにハゼランがいた。花をまちまちに閉じていた。鳴り終えた信号機のようだった。雨が止んで、空がうっすらと橙色になっていた。


***

たんぽぽのロゼットを写真に撮ろうと公園に立ち寄る。こどもさんたちがバッタをつかまえているらしく、何か探し物ですか?と尋ねてきた。たんぽぽを…と話をすると探してくれた。こどもさんたちはまたバッタを探し始めた。

この前パトカーが来ていたその横の空き地は、草がいろいろだった。

この前アパートが取り壊されていたが、すっかり舗装されて駐車場になっていた。もう何の跡もない。敷地の外れに何かの草が姿を残していた。


***

最初に立ち寄った公園ではやまももの実を1ついただいた。よく熟れて甘かった。たねは落ち葉に埋めた。

このあたりが公園だったが…と思いながら立ち寄った公園はさまざまな草に埋もれていた。

次の公園ではコナスビが咲いていた。うれしくなった。

歩道でたんぽぽの写真を撮って、顔を上げるとネムノキの花が咲いていた。

再整備された大きな公園。御家族がたくさん遊んでいた。広いグラウンドにはニワホコリがぽつぽつと出ていた。

管理地の中にぽつんとお家が建っている感じだった。お家の敷地境に小さなイヌクグがいた。

むかし通った道だけれどむかしのことはもういいと思った。

古い町の住宅街。大きな桜の木が道の向かい側のお家のそばまで大枝を張り出していた。

たどり着いた公園ではこどもたちが網を持って遊んでいた。ネジバナを見つけてしゃがみ込んで写真を撮る方々、シロツメクサの編み物をひとり編んでいる方。

いつかの夏、葉がすっかり落ちてしまった大いちょうの木々。もう葉の縁の色が黄色だったり赤だったりになっていた。今年もつらい夏になるかもしれない。

ひさしぶりの公園。だいぶ暗くなった。丘の上からトランペットの音がする。近くには住んでらっしゃる方のテントが見えていた。

再整備されてからはもうほとんど立ち寄らなくなった公園。その手前のセンダンの木がずいぶん大きくなっていた。公園の隅で若い方がひとり、スケートボードの練習をしていた。ポプラの跡は何もなかった。公園の別の隅の、以前からいるトウカエデの横を通った。公園はすっかり変わってしまったが、トウカエデとセンダンはあの頃を知っている。

すみれが足元に並ぶ道を帰る。道はまだ遠かった。


***

公園に人はいなかった。草を見ながら公園のはじのほうを回った。桜の切り株があった。このごろ伐られた様子。年輪は50年分以上ありそうだった。小さな芽が出ていた。

雨が強くなってきた。小さな公園のくすのきの下で休む。向こうでもどなたか休んでおられるのか。しばらく休んで立ち上がった。向こうの方のところから送迎バスが去っていった。その方とこどもさんが話していた。

横断歩道の手前で芋虫が動けなくなっていた。すぐ隣がいろいろな植木鉢のあるお家で、そこから出てきたのだろうと思った。しかしその植木鉢に返すわけにはいかないだろうと思い、芋虫の種類と食草を調べて、その草がありそうな場所をあたることにした。最初の公園は蔦があったが、そこに芋虫を乗せても反応はなかった。別の公園に行ったが、芝生が張られていてあまりいろいろな草が出ていなかった。桜の緑地も食べられそうなものがない。だいぶ歩いた先の別の公園も芝生が入れられていた。学校の裏手にようやく、草の茂みがあった。そこに芋虫をやると草をかじりそうだったが、手から落ちてしまった。落ちてもいまの様子だと上がって来れるだろう。幸運を祈ってその場を離れた。


***

大きな公園はちょうど昼休みの時間に当たったようで、お勤めの方々がめいめい過ごしておられた。片隅でヒナギキョウがそこだけ一面に咲いていた。

別の大きな公園は入口近くの長いベンチに仕事のない様子の方々が集まって時間を過ごしておられる様子だった。大きなナンキンハゼの根元に、チチコグサやウラジロチチコグサのロゼットが、抱かれるようにして生えていた。

小さな公園は外回り営業のあいまに休んでいる様子の方や2人連れの方々が。ここで以前キキョウソウを見たと記録していたが、ヒナキキョウソウだった。プランターを自分の住処にしていた。

もう1つの大きな公園がきょう回れる最後の公園になりそうだった。お昼寝をしている方々のかたわらで草を調べてまわった。ヒメクグが穂をつけていた。


***

公園は夕涼みのような雰囲気の方が多かった。木の根元にホトケノザの芽を見つけた。

大きなビルのふもとの道。以前もここでトキワハゼを見た覚えがある。夕暮れの街に小さく固まって咲いていた。


***

スーパーマーケット跡地は草が刈られてまもないようだった。

くぬぎの林がある公園。網を持ったこどもさんとお母さんが林を抜けていった。林の中はあまり草は生えていない。くぬぎのうちの2本に赤リボンが巻いてあった。

蛍の場所は今年も蛍がいたようだった。おしらせの板がたくさん出ていた。

ひさしぶりの公園は立ち入り禁止の区域が増えていた。スズメバチがいるらしい。公園の土手の側に回った。ボール遊びのボールがとれなくて顔に当たったらしく、こどもさんが泣き出した。ほかのこどもさんが私と同じ名前を呼んでその泣いているこどもさんを慰めていた。

次の公園はもっとひさしぶりで、以前のことをあまり覚えていなかった。こちらはくぬぎとやまももの林。やまももの実がたくさん落ちている。ベンチに掛けて休んだ。風が涼しい。池の向こうから傾き出した日差しがやってきていた。

その次の公園は草がたくさん。向こうのほうでこどもさんとお父さんが遊んでいた。遊具のふもとにコナスビがたくさんいた。これだけたくさんのコナスビがひとところにいるのを初めて見る。涙が出てきた。このままでいてほしい。

先日訪ねた大きな公園を再訪した。崩された山は大きく変わったようには見えず、赤リボンを巻かれたアカマツもケヤキもそのまま。赤リボンの樹木を保存するということかもしれない。木々のふもとの草もあまり変化ない様子だった。工事がここまで及ばないといいのだが。

以前、街路樹のケヤキが伐採された通りに来た。伐採されたケヤキのあたりの位置に小さなベンチが出来ていた。ベンチの脇には小さな花壇があり、花が植えられていた。

大きな池の公園。オオヨシキリが叫ぶように鳴いていた。鳴きながら場所を変えているのか、いましがた左の中洲の木あたりから声がしていたのに、今度は右のほうから聞こえてきた。

車道トンネルを越える人道。道の脇にエノコログサが茂る小さな草地があった。シロツメクサ、マメグンバイナズナ。草の種類は少なかったけれど、この道で草を見られて何か少し安心した気持ちになった。


***

今度はとんぼが落ちていた。もう動かない。近くの街路樹のふもとに安置した。

線路沿いの緑地。カイヅカイブキが高い位置で下の枝を落とされ、その下は草もいない。だいぶまめに手を入れているのだろう。その先で市が変わり、とたんにいろいろな草が出てきた。やっぱり草がいるほうがいい。

歩道の植え込みでくちなしの花が咲いていた。マスクをずらして香りを嗅ぐ。こんなに甘い香りだったか。果物を食べるように香りをいただいた。

公園では土笛を吹いている方が。少しお話をうかがった。アメイジンググレイスを吹いてくださった。空が青く、羊雲とは言わないのかもしれないが羊の群れのような雲が空を渡っていた。

キツネノマゴは育ちつつあるようだった。今年はどうか刈られませんように。


***

公園でトキワハゼとハハコグサの写真を撮っていたら、後ろでこどもさんとおかあさんが私の様子をごらんになっていた。草を撮ってましたと話したらこどもさんが興味を持ったようで、近づいてきた。トキワハゼやハハコグサなど近くの草の話をした。こどもさんはスズメノカタビラの茂みを手のひらでさらさらとなでていた。

空き地では少し季節が進んだ感じだった。花よりも穂や綿毛が目立つようになっていた。

角のイヌビユは切られていた。


***

こどもさんのサンダルが電柱の下に寄せてあった。もう1個を道端で見かけたばかりだった。拾って電柱のところに揃えた。

保存樹はムクノキだった。涼しい。境内を出るところにどうもムクノキらしい幼木が陣取っていた。

河川敷が公園になっていた。舗装の上は暑い。向こうから車椅子の方が付き添われてスロープを降りて来られた。向こうに見える脊振の山が夏だった。

遊歩道沿いのエノキの下で休む。立ち去るときに気づいた。実がなっていた。

市民の声コーナーで除草をしてほしいという声があった場所を訪ねた。全体的に草がたくさん出そうな箇所がなく、ここだったのではと思うがわからない。草が刈られた跡があった。
刈られた草をしゃがんでしばらく見た。立ち去ろうとしたら、きれいですね、と声を掛けられた。ここの草があおあおとしているのがきれいだ、とお話しになる。お近くの方らしい。隣の花壇もごらんになっていた。

住宅地の中にどうも林があったようだった。チェーンソーを持った方が敷地内を歩いておられた。枝を落とされたくすのきなどの木々。敷地の端に、いろいろな長さに切り分けられた枝が整理されて積まれていた。

病院はどうもむかし就職活動で訪ねた病院のようだった。しかしまわりの様子が変わっているのかよくわからない。大きな池も記憶にない。道も歩道の網フェンスも新しいようだった。

小さな公園。自転車の方がトイレに入っていった。グラウンドを囲むように草地がある。ネジバナが咲いていた。

脇の小道の向こうに公園らしき緑が見えたので入っていった。おかあさん方が見守る中でこどもさんが遊んでいた。何かの枝を小さな植木鉢に差していた。大きなケヤキの下にまんねんぐさの仲間が寄り集まっていた。

やはり市民の声で、木が茂って薄暗いから新しくしてほしいという声があった小さな公園。最近剪定がされたのかちょっとわからないが、通り掛かるこどもたちがみんな、なんか変わった、明るくなった、と口々に言っていた。
ネジバナが咲いていた。ヘビイチゴの実ができていた。
私が草を見て記録しているあいだ、こどもたちがベンチで教科書か何かの朗読をしていた。テストがあるのかもしれないが、読むのも遊びのようで、楽しそうに読んでいた。

5年前、ここの公園の大きなプラタナスが伐られたという話を聞いた。訪ねてみたけれどプラタナスの跡はわからなかった。
5年ぶりに再訪した。草は外来さんが多い感じだったが、イヌクグやクグガヤツリもいた。
花壇のお手入れをなさっている方から、何か調べてるんですかと尋ねられた。草を見てまわってます、と、在来たんぽぽの話などをして図鑑をごらんいただいたりした。おもしろそうに思ってくださったみたいで、帰ってネットで調べてみますねとおっしゃってくださった。

以前ヤブミョウガが咲いていた場所はこのあたりだったか、思い出せなくなっていた。小さな神社があるようだったが入らずに過ぎた。

歩くのがつらくなった。道沿いに小さな緑地があった。木陰。ベンチも休むところもないけれど、そこを通っただけで少し気持ちがよくなった。


***

フェンスが立てられて人が休めなくなった公園はあいかわらずフェンスが立っていた。草の背丈が高くなっているように見えなくはなかったが、種類などはわからなかった。

ヒナギキョウが一面に咲いていた公園の一角は草刈りがされていた。

閉鎖予定の公園でコヌカグサを同定。しゃがみ込んでルーペとピンセットとカメラとを持ち替え持ち替えして観察した。

草の広場をこどもさんが一人歩いてきて、地面で何か摘むようにして、くすのきの枝先も何か触るようにして、来たほうへ戻っていった。

こちらの方はさっきはあちらにおられた、と思ったその方が、また別な所にお座りになっていた。道端の縁石に腰を下ろして。公園の中で場所を変えながら、その場所その場所を味わっておられるというか、惜しんでおられるような御様子にも見えた。

飛行機がくすのきの枝に引っ掛かっていた。こどもさんが大きな石を持っていたので投げるのを止めさせて、美術館で頼んだらつりざおを貸してくれた。そのつりざおで飛行機を落とした。なんとか丈が足りてよかった。

やまもものタネを少し拾い集めた。


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2つ信号の場所にはアレチノギクが出ていた。

イヌビワの植木鉢のお店跡地では、丈が高い草が抜かれて横たえてあった。枯れ色になっていた。

草の公園では、ときどき話をしてくれる子がペットボトルに水を入れて、地面から何かを拾ってひとつひとつボトルに入れていた。

道端のヒメウズは姿が無くなっていた。

街路樹のクロガネモチの下にフウセンカズラが復活していた。


***

丁字路はチチコグサモドキが短い丈で1本出ていた。

ちょっと横を向いたらとてもつぶらな瞳の犬さんと目が合った。犬さんのほうでもびっくりしたようで吠えられもしなかった。

やまももだろうかホルトノキだろうか、と公園の木を見て悩んだ。トイレに行って、近くに同じような木がいるようなので近づいて見てみたら、緑の実がなっていた。ホルトノキだった。

公園を出たところの歩道をみみずが這っていた。植え込みのほうに移した。その先でまたみみずが這っていたので同じようにした。

地下道の路面で蛾が踏まれたらしく動かなくなっていた。地下道ではかわいそうになって、近くのポケットパークに移した。

モミジバフウの街路樹の道では茶色のこがねむしが落ちていた。生きていた1頭は木の幹につかまらせた。ほかの虫たちは脇の葉が積もっているところへ移した。

出来つつある高架の向こうは夕暮れ空だった。これがこのまちの新しい情緒と言われるときがそのうち来そうな気がした。その頃にはもう自分はいないのだろう。


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2つ信号の場所はいまアレチノギクが出ているが、ほかの草が取られて置いてあった。いちばん端にエノコログサらしき葉が残っていた。

この前、路面に黄色い花がぱらぱらと落ちていた場所があった。どなたかが落としたのだろう。きょうその場所を通ったら、花が路面に跡のようになって残っていた。

工事が始まった敷地の隅にすみれがかたまって出ていた。

わりと広い空き地ができた。いろいろな草が出始めている。歩道側の端にいるのはアレチノギクとオオアレチノギクのようだ。アレチノギクは花を少しつけ、オオアレチノギクはまだ伸びようとしている途中だった。

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もちろんいまの仕事をまっとうしていきたいと思っているが、自分がなすべき「仕事」は、生きている草や木を生きているあいだ見て歩くこと、もしその草やその木がなくなったならその草その木を、しのぶこと、想うこと、そしてできるかどうかわからないけれど弔うことだと、思うようになってきた。

なすべきと言っても「なす」ことができることなのかどうかもよくわからない。ただ、いまはその場所その場所でその草その木に臨んでいたい。

生きているあいだはすることがあるのだと思う。たがいに。弔う前、弔われる前に。


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クワクサの出ている道端にエノキグサの姿もあった。

道端のブロック塀の穴の中にホトケノザを見つけた。大きくはなかった。オニタビラコが同じ穴の中でロゼットをとても小さく広げていた。

ブロック塀が続く道端は今年もエノキグサが並び始めた。


***

中心市街地の街路樹がひこばえを伸ばしていた。見上げると小さな泡のような花。ホルトノキだった。

公園はきょうはいつもより人が少ないように感じた。いままで腰掛けていた石のベンチの下にすみれが2株出ていた。隣のベンチの下にはイヌクグが3株並んでいた。


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近くの学校の桐の木のこどもだろうと思う道端の桐の木。通りすがりに葉をちょっとさわった。前から来たこどもさんがちらっと見ていたような見ていなかったような。

草を調べようと思っていた公園はもうこどもたちが遊んでいた。

すみれのプランターはポーチュラカでいっぱいになっていた。

シロバナタンポポが出ていた植え込みは草がむしられたような地面になっていた。近くに袋が積んであった。

空き地はハハコグサが花を終えて綿毛になりつつあった。

丘の公園からいつも聞こえるこどもたちの声が聞こえない。上がってみようかと一瞬思ったがもう気力がなかった。また行こうと思う。


***

道端のイヌノフグリの場所はクグガヤツリが出ているのが見えた。


**

公園に誰もいなかったので草を調べた。ここもチチコグサが多い。よくわからない小さな花をしゃがんで見る。後ろで小さなこどもさんとおかあさんが遊び始めた。しばらくその花を見て、ベンチで休んでから立ち去った。

道沿いの小さな林。以前はもう少し広かったけれど道路が造られて狭くなった。それでもさまざまな木々がそびえる。草が取られているようで裸の地面が広がっていた。端のほうにいろいろな幼木が出ていた。それは残されているのだろう。草はアレチノギクが2本、イヌホオズキが1本。どちらも小さかった。


***

大きな事業所の脇の道。道の向こう側をこどもさんとお母さんが歩いている。こどもさんは裸足。いまどきめずらしいなと思った。楽しそうにお母さんと話をしている。そしてこちらの道端にアメリカフウロがいた。

草が多いお家の前庭に、ナズナがいた。さっきのアメリカフウロもだけれど、春からの生き残りなのだろう。きょうの涼しさがありがたく思えた。

雨が降る。風がけっこう強くなる。公園の木立ちの下のベンチで過ごす。むかし林間学校か何かのときに嗅いだようなような香りがしていた。雨の山の香り。

切り株の木蓮は小さなひこばえからわりと大きな葉を広げていた。

夕焼けが遠く美しかった。

夜になった線路際の場所でメマツヨイグサが伸び上がって花を咲かせていた。


***

道端のヤナギバルイラソウが刈り揃えてあった。

スーパーマーケット跡地はまだ草丈が伸びないが、歩道のほうではヒロハホウキギクらしき草がだいぶ高く伸びていた。

ここが新しくなって何年になるのか、大通りの植え込みにコナスビがいた。戻ってきたのだろう。

なかば封鎖されていた公園の封鎖がまもなく解かれる。一時期は封鎖範囲内に丈の高い草が見えていたが、どうも解除前に草刈りが入ったようだ。しだれ桜の一角に深めの草が残っていた。イタドリが茂っていた。

石畳の広場へ通じていく石畳の広い通路。敷石の隙間からオヒシバが小さく出ていた。穂も小さかった。これから開こうとしているのだろう。

このビルの周囲の緑地もこの夏かぎりなのだろう。ホタルブクロは今年は思っていたのと違う位置で花を立てていた。ふだんの位置のホタルブクロは葉をあちこちに出していた。少し色が褪せているようでもあった。

ビルの谷間のようなところに、ヒエガエリの穂と、茎を伸ばしたトキワハゼが立ち並んでいた。

ザクロソウが1株出ていた場所の近くで、ザクロソウを見つけた。最初に見つけたザクロソウはどこから来たのだろうと思っていた。仲間がいたことになんだか自分が安心した。

地面に落ちたやまももの実はだいぶ土に戻ったようで、たねが地面色になって地面の上に居た。


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モウコタンポポはまた咲き始めていた。


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この前くすのきの下で雨宿りした公園で、草を調べた。端のほうにトウバナなどいろいろな草が出ていた。そのあたりがいちばん手入れの手が入っていないようすだった。

歩くのがやっとな感じで公園にたどりついた。

コマツヨイグサかメマツヨイグサか途中でわからなくなった。とにかく咲いていた。


***

封鎖解除された公園を草を見て歩いた。ところどころ草刈りされていない場所があった。アキノノゲシが大きく育っていた。

石畳のオヒシバはどうも抜かれたようだった。その近くに、この前は気づかなかったやはりオヒシバらしき草が出ていた。

別の公園の草の広場ではアメリカスズメノヒエがピースサインをたくさん並べていた。

川岸はどうもブラジルチドメグサのようだった。

街路樹のいちょうが数本続けて伐られて切り株になっていた。ひこばえを伸ばしている株もいた。まわりの植え込み低木もさらに低く伐られていた。その植え込みの中に生えていたエノキの幼木が、伐られなかったらしく残っていた。

もうすぐ帰り着く角のところにザクロソウがいた。これまで気づかないでいた。


***

桜の下の道。ここにもキツネノマゴがいたのを葉を見て思い出した。

桜の跡地はその端に出ている草の様子もだいぶ変わった。ヒメムカシヨモギらしき草が立ち並んで、ところどころノゲシが出ていた。

こどもさんがヒメジョオンの花を摘んでいるところを通り過ぎた。歩きながら振り返ると、おかあさんとその花の何かを見ている様子だった。声を掛けるには遠くなりすぎた。


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ときどき通る道沿いの、木々がこんもりと茂った小山が伐り開かれていた。重機が入っていて、たくさんの切り株が見えていた。敷地の端に数本の木々が残っていたが、残されるという様子ではなく、いずれ伐られるのだろう。

小山はたしか以前、地元の子どもたちからトトロの森と呼ばれているという話を聞いた。切り開かれた斜面は急勾配で、おそらくもっと以前はこのあたり一帯がそうした丘だったのが、宅地や道路にするために切り崩したのだろう。

敷地の端にクサイチゴやサルトリイバラの葉が残っていた。アカメガシワや樫などの幼木も出ていた。このあたりはまだ刈り残されている様子に見えた。

小山の敷地の隣が小さな公園で、そこに入った。コナスビが生えていた。通り掛かった方が、何か建物が建つらしい、いい具合になるといいけれど、と話しておられた。

敷地の反対側に回った。伐り残されているのは樫の木のようだった。敷地から外へ向けて傾げている。もともと、他の木々を避けてそういうふうに育っていったのだろう。でも、ここから逃がれ出ようとしているようにも見えた。

伐り開かれた小山の上は夏の青空だった。


**

公園のザクロソウの隣にオヒシバが伸びていた。

帰り道はひさしぶりに通る道を選んだが、歩くのでせいいっぱいだった。黒雲の向こうの夕焼けがあかかった。

排水溝のくすのきは伐られていたが、網から少しだけ葉が出ていた。


***

封鎖解除された公園はまだ全体をめぐっていない。きょう見た場所ではエノキグサやキュウリグサがいた。

植え込みのそばを通っていて、植え込みの中に猫がいるのが見えた。私ににゃあと鳴くので、食べ物はないとよ、ごめんねと言って手を広げて見せた。にゃあと鳴く声を聞きながら立ち去った。すぐすれちがった出勤途中らしき方が私の様子をごらんになっていたようで、植え込みをのぞいて、ちょっと驚いたようなご様子をなさって、猫と話を始められた。

ウマノスズクサの場所はもうすぐ草が取られそうだった。

この前通った道端の蘇鉄の場所は以前はセンダンが出ていたのだった。今度そこを通ったらセンダンを探そうと思っていた。しかしセンダンは見当たらなかった。蘇鉄は新しい葉も切られていた。ひこばえは切られていなかった。

再整備中の公園は芝生の広場が出来ていた。丘の上のアカマツや歩道沿いのけやきは残っていた。道路沿いの植え込みが刈り込まれているところだった。

むかし道路工事から残された桜の場所。竹カリンバを鳴らしてそこを立ち去ろうとしたとき、網を持ったこどもさんがやってきた。せみおる?と尋ねられた。さっき向こうのほうへ飛んでいったと話した。その蝉と同じ蝉かわからないが、近くの桜の木でそのこどもさんが蝉を捕まえた。見て、と私を呼んで、蝉のおなかを見せてくれた。そのあとも、虫を捕まえては私に見せてくれた。蝉を家で飼っているらしい。蝉が虫籠の中で仰向けになっているのがかわいそうだったが、飼っているということならだいじにしてくれることだろう。

以前ここに来たときには桜の下にあざみが出ていたのだった。あざみらしきロゼットを見つけた。

学校の園芸部の畑の横を通り掛かった。作業をなさっている、おそらく顧問の先生ではないかと思われる方から、ああおつかれさまですと挨拶をいただいた。私も草の世話の帰りで日除け帽子に首巻きタオルだったので、何か同じ雰囲気が出ていたのかもしれない。

ナズナやホトケノザが出ていた道端の場所は、ナズナが枯れて形だけ残っていた。おつかれさまと声を掛けた。


***

桜の下の道のキツネノマゴはだいぶ多かった。あまりに多くてエノキグサなのではないかと考えてしまった。

バス停の屋根の上にモミジバフウとハゼランとアキノエノコログサらしきねこじゃらしが出ていた。


***

こぶしの小公園の入口側で木が枯れていた。枝振りがもみじのようだがもみじだったか覚えがない。根元のあたりがカニクサや他のつるに絡まれていた。

線路際の場所ではコマツヨイグサが出ていた。

ブロック塀が続く場所には今年もエノキグサが出ている。この前通ったときには、端のほうでエノキグサがしおれていた。きょうもしおれたままだった。

桜の跡地の敷地際に出ている草は、アレチノギクもオオアレチノギクもヒメムカシヨモギもだった。アレチノギクがまわりの草に影響されたか、工事のフェンスがあるためか、かなり高く伸びていた。

丁字路はまた草が取られたように見えた。この前よりもさらに小さな何かの草がわずかに生えていた。

線路に沿って続いている狭い草地の草が枯れていた。薬が使われたようだ。コマツヨイグサがほとんどのようで、枯れたコマツヨイグサのあいだからアレチノギクが伸び出していた。

公園の排水溝から、じーという音がしていた。まさか蝉が落ち込んだのだろうかとしばらく聴いたが、音が止まない。排水溝の網蓋を軽く蹴った。蹴ったときだけ一瞬音が止まるが、すぐまた鳴り出す。蝉ではなくて何か空気の具合なのだろうか。気になるけれど、鳴り続ける音を聞きながら立ち去った。

人通りはさすがに少なかった。しかし住宅地を歩いても、テレビの音が聞こえてきたりは特にしなかった。


***

ここの桜の切り株はもうまったく動きがない。まだ丈の高くないセイタカアワダチソウがまわりを埋め尽くす勢いだった。

タチチチコグサを初めてそれと認識してから、セイタカハハコグサとタチチチコグサとチチコグサモドキが混乱するようになった。空き地の草は花のてっぺんが黄色で、どうもセイタカハハコグサのよう。

公園の植え込みの地面をなぜかごきぶりが這っていた。近くに建物はない。どこかから逃げてきたのか、どこかを探しているのか。

公園を背にして道端に立つ方がおられた。その方の正面には夕暮れの雲があったが、空をごらんになっているのかどうかはわからなかった。


***

公園の石畳から出ているオヒシバの、後から出てきたほうは少し色が褪せていた。

歩道に降り積もっているのは街路樹の花びらのようだった。えんじゅのように見えた。

歩道を公園のほうへゆっくり歩いて行く方を追い越した。公園で涼んでいるあいだにその方が追い越していった。

学校跡地は広大な空き地になっていた。となりが公園だが、ここを開放して遊んでもらえばたくさんのこどもたちがめいめい遊べるだろうと思った。跡地のこちら側に、蘇鉄が端正に立っていた。

埋立地のキツネノマゴは以前見た位置でもその近くでも見当たらなかった。

道からお家の敷地に入るその入口に、わりと大きなサンゴジュが出ていた。どこかの隙間から出ているよう。そのお家の塀の下に、イヌビワやアカメガシワやハイビャクシンらしき幼木が点々と並んでいた。

交差点の角のヒメツルソバはわずかな隙間に生きる場所を見つけたようだった。少し茂っていた。

アキノノゲシが出ていた空き地の跡地はいろいろな草が出ていたが、アキノノゲシは出ていないようだった。


***

クサギのトンネルだった場所を通ったら花が落ちていた。そして落ちてきた。見上げると、斜面に点々と残っているクサギが咲いていた。以前のように大きく陰を作るような茂り方ではないけれど、それぞれに自分の花を咲かせているようだった。

駐車場の向こうの木はやはり柿の木のように見えた。向こうからの日差しを跳ね返していた。

アレチノギクの駐車場がマンションに変わって、それ以降アレチノギクをその近くで見ない。きょうも見なかった。少し離れて、エノコログサが小さく穂を立てていた。


***

すみれのプランターが先日ポーチュラカでいっぱいになっていたが、よく見るとポーチュラカのあいだにすみれの葉があった。土は替えていないのだろう。

以前はふつうに通っていた道だったが少し前から自分でもなぜかわからないまま通らなくなった。かわりに通る道の縁石に沿って、エノコログサが並んでいる。そういえばここはエノコログサの空き地だった場所のすぐ近くだ。


***

2つ信号の場所では、アレチノギク、オッタチカタバミ、エノコログサが出ていた。この前書いたかもしれないが横断歩道すれすれにエノコログサが1株出て、穂をつけていた。


***

先日書いた、木々が伐り開かれた小山のところを通った。先日のときは数本の木が残っていたけれど、その木々も伐られていた。
山肌にたくさんの切り株が見えていた。刈り残された小さな木や低く茂った草がところどころで緑を保っていた。

地面から出ているナツフジのように見える低い枝葉に、蝉の殻がついていた。山肌のあちこちで同じように、ナツフジやアカメガシワの低い枝葉に、蝉の殻がついていた。
それ以上高く登れる所がない。ないなりに、行けるところまで高く登ったのだろう。

街路樹こぶしに実が赤く実っていた。高かった積乱雲は西の空で形を崩しかかっていた。東の山があおく見えていた。


***

公園はまた封鎖の柵が戻ってきた。最後の区画を設置中だった。囲われた区画内はどうも施工前に草刈りがあったようで、草丈が低くなっていた。鳩がやってきた。

柵の向こうの猫の気を引きながら写真に撮っている方がいた。

ビルの野草園はビルが今月かぎりで閉まるのでやはり閉まるだろう。ヨメナがひとつだけ咲いていた。

公園閉鎖の立て札が新しくなっていた。キョウチクトウがその横で花盛りだった。

公園のごみを拾って事務所に戻ってきたらしき方に、公園の中でお見かけした2人の方々が話をしていた。どうも猫について話をなさっているような様子だった。

やまももはよく見てみると幹に大きな縦筋が入っていた。うろだろう。ある公共施設の正面にいる大きなうろがあるやまももを思い出した。

ユッカの葉にさわろうとして、指を刺してしまった。あんなに尖っているとは思わなかった。公園からの挨拶のようにも感じた。

閉鎖前にまた来るかどうか。できるだけのことはやったと思う。


***

封鎖公園。きょうは猫はいなかった。少しだけ草を見ていたらめまいがした。

ビルの野草園は水まきをしている方が。思いのほか長い時間かけて水をまいておられた。

閉鎖予定だった公園は閉鎖されていた。公園内にたくさんの車が入って、囲いを立てる作業が続けられていた。囲いは現在どなたか住んでおられる区域だけ除いて公園ほぼ全域を囲むようだった。キョウチクトウの枝を伐る作業も行われていた。

公園を去り際にふと目をやったところに、小さな切り株があった。3つ。切り株そのものはだいぶ前に伐られたようで、そのひこばえが新たに切られたように見えた。すぐそばにヒイラギモクセイの小さな木が立っている。ここはヒイラギモクセイの場所だったと思い出した。切り株のすぐ脇に、切られた枝が落ちていた。葉は緑だった。

だいぶ前に再整備された公園。この公園は人があまり寄り付かないようにむしろ緑を多くする再整備をしたと聞いているが、いぜんよりも心なしか木々が少なくなっている感じがした。小さなテーブルと椅子が多く並べられ、人がかわるがわる休みに来ていた。木の種類は多かったが、草を見てまわるとあまり種類は出ていないようだった。

こどもたちが木の幹に蝉の抜け殻を見つけて、落として水たまりのほうへ持って行った。

ぽんと空き地があった。オオアレチノギクとヒメムカシヨモギが並んで高く立っていた。

小さな交差点のガードポールのそばにもオオアレチノギクが立っていた。

ここも工事が続けられている公園のフェンスの下から、なんだったか百合の仲間の花があざやかに咲いていた。

クサギのトンネルだった場所のクサギは花をたくさん咲かせていた。やはりあの公園の木もクサギだと思った。


***

こぶしの小公園の枯れた木は伐られていた。切り株は生きている感じではなかった。

建物の裏の草の道。エノコログサ、エノキグサ、イヌホオズキ、ハゼラン。

草が生えているおかげで生きてこられた気がした。

ブロック塀の下のエノキグサは成長したように見えたが、端の株は枯れていた。

桜の切り株のひこばえは根元にさらに土をもらったように見えた。

桜の跡地の桜がいた位置のすぐそばに、ナガミヒナゲシの枯れた茎が立ったままになっていた。

小さな公園は誰もいない。大きなくすのきが公園中央で木陰を作っていた。少しだけ木陰に入ってひざに手をついた。ウラジロチチコグサが葉を広げて並んでいた。

空き地はメヒシバでいっぱいになっていた。

大きなくすのきと桜の小さな公園。こどもたちが自転車で去ろうとしていた。公園を出た私のあとからやってきて、左へ行く?左、と、私と違う方向へ去っていった。


***

クサギのトンネルだった場所のクサギは落花が盛んになってきた。

脇の小道で空き地ができたのを見て知っていた。小道に入ってみた。空き地にミニトマトが出ていた。空き地は整地されているようだったが、あらたに植えられたにしては大きく育っていた。実はあおからあかへと変わりつつあった。


***

この前訪ねた公園はオヒシバやクグガヤツリがたくさん出ていた。この前のときはまだ穂が出てなかった。

鉢植えの多いお家はミズヒキも出ていた。

植え込みのキツネノマゴは今年もだいじにされているようだった。マンネングサの仲間と何かのイネ科の草と、小さなガーデンになっていた。

以前伐られた街路樹いちょうの切り株が並ぶ歩道。ひこばえが枯れていた。その先の切り株はひこばえの半分ほどが枯れ、残る半分は葉が変色しかかっていた。

公園のくすのきはかわらず夕日を受けていた。

遠い山があおあおとしていた。これが私の今年の夏だと思った。

メヒシバでいっぱいになった空き地はイヌホオズキも大きく茂って実をつけていた。セイタカハハコグサは疲れたようだった。ハハコグサはわからなくなっていた。


***

封鎖公園はひまわりが植えられていた。

ビルの公開緑地はヨメナの花が増えていた。

閉鎖された公園はサンゴジュの枝が歩道に迫り出してたくさんの実をつけていた。

終戦の日の追悼法要の立て看板を見た。竹山広さんの歌が書かれていた。

路地とまではいかないが小さな道に面した駐車場の塀の下にすみれの葉が見えた。

街路樹だと思っていたけやきの切り株はその部分が私有地になるようだった。公開空地扱いになっていた様子。切り株はそのままだった。

公園ではこどもたちが草を引き抜いて集めていた。ベッドを作っているらしい。集めた草が芝生の上にきれいに敷かれていた。

クサギのトンネルのクサギは花の盛りを過ぎたように見えた。実らしきものが見えていた。


***

ガードレールの角は水たまりができていた。ノボロギクやツメクサやアレチノギクが入れ替わり出てくる角。いまはクグガヤツリが小さく茂っていた。


***

草が立ち並ぶ道端。自分は草を見ることはどうしても好きだと思った。しゃがんでエノキグサの花を見た。エノキグサの花を近くでよく見てみたのは初めてかもしれない。

マンション工事現場の隅は少し草を取ったような様子だった。

この前見た小さな穂がついた草はスズメノヤリだった。だいぶ大きくなってそれらしい姿になっていた。若い頃の姿を自分がよく知らなかったのだ。

さっきの場所のキツネノマゴはまだだったが、こちらの場所では咲き始めていた。小さい花が茂みの中にふたつ見えていた。

たぶん何度か見たと思うが、踏切の脇にくぬぎの幼木がいた。

空き地はメヒシバが茂っていた。イヌホオズキには実がなっていた。

くすのきが夢に出てきたので、くすのきのいる場所を通りながら帰った。帰り道は少し疲れていたので近くまで寄らずに。くすのきがいる小さな神社のお社の前にどなたかが腰掛けて、スマートフォンを操作なさっていた。


***

駐車場というのか車庫というのか、その脇にちらっとノウゼンカズラらしき花が見えた。

シナダレスズメガヤがこの道にもいた。


***

電車からあおあおとした田んぼが見えた。もう穂が垂れている。田植えしたばかりで?と思って、8月下旬だということにあらためて気づいた。

どこかでヤナギバルイラソウが低めに咲いていた。きょう通った道では2か所にヤナギバルイラソウがいるが、どちらだったかは忘れてしまった。

クサギのトンネルだった場所のクサギの花はだいぶ散った。まだ花を咲かせている株もいくらか残っていて、路面に新しい花が落ちていた。

ウマノスズクサはどうも最近ちぎられたか高めに刈られたかのようだった。奥のほうはどうもされていないようで、植え込みの木々に絡まって高く伸びようとしていた。


***

ビルの公開緑地ではワレモコウが咲き始めていた。ビル閉館に間に合った。

ビルの屋上はたぶん十何年かぶりに上がった。大小のプランターが並んでいる。アップルミントの横にメヒシバが茂っていた。端のほうではオオアレチノギクが天に向かって伸び上がり、ひとつのプランターはすみれでいっぱいになっていた。別の端でカヤツリグサが1本だけ、プランターの下に立っていた。雨がときどき、ぼとぼと落ちてきた。

高いビルや新しいマンションが立ち並ぶその裏の筋には一戸建てのお家がいくらか残っている。表に緑が多いお家もそのままだった。いろいろな木や草花がいたと思うが、帰ってきていま思い出せるのはなぜかあじさい。

くすのきの公園と札にあるけれど、くすのきは角の1本だけのようだった。桜の下で休んだ。

戦災に遭った大楠はきょうも元気だった。電線のだいぶ手前までしか枝を伸ばせていないようだったが、今年の葉もあざやかに茂っていた。さやさやと風に葉が鳴っていた。空は青かった。

公園の端でナンキンハゼが枝をすっかり落とされていた。

河岸工事が進められていたようだったが工事は終わったのだろう。河川敷に草の緑が戻っていた。轍のような跡が残っていて、その縁取りをするように高い草が並んでいた。

比較的新しく出来た道の道沿いにいろいろな木々が茂る一角がある。その脇にちょっと立ち止まって木の陰から空を見上げた。手前はムクゲの木、向こうは木蓮だったか。だいぶ疲れたが、私は歩くのが好きだと思った。

公団住宅の脇で木が伐られて無くなっていた。しかし何の木だったか思い出せない。作業の方々が木の粉を集めていた。

排水溝のくすのきは網から少し伸び上がっていた。

整備されて木々が枇杷の木1本だけになった小さな広場。枇杷はやはり、枯れているようだった。鉄棒のような遊具が残っただけであとはただグラウンド状の地面が広がっていた。こうなるほうがよかったのだろうか。

アレチノギクがいた駐車場跡地のマンションのオタフクナンテンの植え込みに、イヌホオズキが出ていた。花が咲いていた。


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樹木医さんが桜の木を診断している様子だったので、少し離れてしばらく診断の様子を見させてもらった。槌で幹を叩いたり、根元に金属の棒を刺したりなさっている。ひこばえの桜を見て、これはどうされてるんですかね?と尋ねられたので、地元の方が残してあるのだと思いますとお話しすると、それがいいですね、とおっしゃった。

お近くの方らしき方が心配そうに話し掛けてきた。テープを巻いてある木は伐採されるのか、とお尋ねになるので、かわりに私から樹木医さんに尋ねた。機械診断の予定がある木だとのこと。伐採ということではないので心配しないでください、よいように提案しておきます、とおっしゃった。その旨をその方にお伝えした。以前台風で枝が落ちた話をなさっていた。市は切りたいんだろうね、と。少し離れた所で別の方がやはり心配そうにベンチに掛けておられた。その方のそばを通って立ち去ったけれど、その方は目を合わせないようになさっていた。

桜の跡地はヤナギタデというのか、イヌタデでない大きなタデが花を咲かせていた。アレチノギクが高く並んでいた。離れた所でヒメムカシヨモギも少し立っていた。

丁字路は草の姿が無くなっていた。

公園のプロムナードではルリタテハが飛んでいた。今年も。

もう暗くて見えづらかったが、電話ボックス脇のキツネノマゴも咲き始めたようだった。

立ち並ぶメヒシバの向こうの大きな車庫に、行き先表示がまだ点いているバスが停まっていた。


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ひこばえ桜に石が当てられていた。少し傾いていたのを、たぶんまっすぐになさるということだろう。

この前、もう暗くなった時分に、桜並木の下で何かところどころにペットボトルで水のようなものを掛けてまわっている人がいた。なんだろうと思っていたが後日その場所を見てみようと思った。きょう見てみたが正確な位置がわからなかった。それらしきところには切り株や桜の根のひこばえが出ていて、ひょっとしたらそれらに水を遣っておられたのかもしれない。

お店の前の道沿いに花と一緒に小さなマスコット人形などの小物が置いてある。人形はフランケンとカービィともうひとつ、しばらく何かわからなかったけれど、このごろカモノハシだとわかった。きょうもいつものようにそこにいた。向かいで柿の木が高くそびえていた。

キツネノマゴの場所は草刈りが入ったようだった。電話ボックスのほうのキツネノマゴは無事だった。

春には大きなナガミヒナゲシが出ていた場所、いまはオヒシバがたくさん茂っている。敷地の端でノゲシがそろそろ花をつけ始めていた。


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閉館したビルの公開緑地はそのままだった。ワレモコウがこの前とは別な株が咲いていた。土が乾いていたが、今後のお世話はどうなるのだろう。

ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウはだいぶ小さくなっていたが、手前の道沿いに小さなヨウシュヤマゴボウが出ていた。

草の日のイベントがあるらしい。

城址のはずれで大きな木を高所作業車で伐っていた。エノキのような木肌の木。どすんと音がして、幹の太いかたまりが地上に落ちた。

公園ではツルボが咲き始めていた。

クサギのトンネルだった場所のクサギはだいぶ花が終わったが、歩道に花が落ちていた。見上げると、少しだけ花を残した株が実をみのらせていた。

スーパーマーケット跡地はあまり草丈が高くなっていない。歩道の車道沿いに、アキノノゲシがやや高く伸びていた。


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これからも草を見ながら歩くのか、歩きながらそのとき考えていたのだったと思う。お家のブロック塀の隙間からムラサキカタバミらしき葉が3枚、顔を出していた。

空き地は盛り土が削られてほぼ平坦になっていた。たくさん生えていた草たちはほとんどいなくなってしまった。丈の低いカヤツリグサやオッタチカタバミが敷地の端に残っていた。

河原の公園でカリンバを鳴らして過ごした。日暮れて山がだんだん暗くなっていく。その山の景色がなんだかとても懐かしかった。木星が低く見えていた。


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クサギのトンネルの場所では葛の花が咲いていた。クサギも新しい花が落ちていた。

水辺の公園の、カゼクサが出る場所を通る。草が刈られたようで高い丈の草はない。少しまとまって草が残っている位置で、カゼクサだと思う草が小さく生えていた。

行きがけに、くすのきの小公園の手前に白いさるすべりが咲いているのが見えた。公園の中だったかわからなかったが、帰りがけに公園の前を通った。さるすべりは手前のお家から出ていた。

駐車場の柿の木をいつも見ているのとは違う筋の道から見た。少し薄暗くなっていてわからなかったのかもしれないが、実がなっているようではなかった。

道端の伐られて枯れたくすのき切り株のそばでハゼランが茂っていた。切り株はメヒシバか何かの草に覆われてわからなくなっていた。すぐそばにクワクサらしき草が見えた。

橋のたもとから見る芭蕉の葉はとても大きかった。

もう暗かったが、このアパートの脇に見えている黒い茂みはたしかイヌビワだったと思いながら通った。確認まではしなかった。

この小径ではまたお家が取り壊されていた。その先の、以前くすのきが伐られた神社のあたりで、くすのきの香りが一瞬した。

マンションの植え込みのイヌホオズキはいちだんと大きくなったようだった。


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閉館したビルの公開緑地では、この前までは見ていたワレモコウの花がなくなっていた。別の位置の花はどうもなっていなかったので、そこだけを誰かが採っていったのだろう。

閉鎖された公園ではフェンスの下の隙間に小さな板を当てて隙間を完全になくすみたいな作業をしていた。この手のフェンスによくあるスリットみたいな構造は見渡す範囲にはまったく見当たらなかった。

駐車場の手前隅では、この前もたしか見たすみれの葉がひらたく茂っていた。

ツルボはいまが花の盛りだった。

帰り道はとてもきつく感じた。空き地の草がオオアレチノギクかヒメムカシヨモギだと思ったのでよく見てみたら、オオアレチノギクの葉で花がヒメムカシヨモギに見える。その特徴で覚えておくしかなさそうだった。


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マンション工事現場の草もヒメムカシヨモギの花でオオアレチノギクのような葉をしていた。丈が低いあいだは葉の特徴が出にくいのだろうか。

桜のひこばえはさらに手厚く土が盛られていた。枝というか、これから幹になるはずの枝はしかしまた少し傾いているようだった。


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桜並木はこんどは機械でデータを採っていた。幹にテープを巻いて小さな箱をぐるっと止め、その下に釘を打ち込んで、その箱からコードを引いたハンマーで釘を打って何か測定していた。お尋ねすると、音を測っているとのこと。ガンマ線を使うなどいろいろな機械があるらしい。ていねいに説明していただいた。挨拶してその場を引き取った。

保育所はちょうどお昼ご飯の時間かと思ったが、静まり返っていた。お昼寝だろうか。

ポーチュラカが植えられたすみれのプランターだが、すみれが残っているところのポーチュラカがよくわからないがむしられたような感じになっていた。

公園でてんつきの仲間を見つけた。クロテンツキだと思う。すぐそばにはスズメノヒエもいた。ここに立ち寄ってよかった。

空き地は一面にシートが敷かれているところだった。歩道際にオッタチカタバミが1株立っているほかは、シートの下になってしまった。

道端のクワクサはよく茂っていた。


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駅前から見る四王寺山と宝満山は懐かしかった。

まちを出て小さな川に沿って歩く。田んぼの端に彼岸花が並ぶ。振り返ると山が夕陽を受けてあざやか。あの山にいつかまた登りたい。

土手の大えのきは元気だった。

カイノキの場所は草がいっぱい茂って、きょうの靴では足元がおぼつかない感じだった。草地には入らないで遠くから見た。カイノキの切り株のうち右側はひこばえなのか低い枝がたくさん茂っているようだった。もう1つの切り株は動きがないように見えた。

史跡の広場の端まで来た。石に腰を下ろした。すっかり夕空になった。吹き上がる雲が赤く薄黒く色づいていた。

むかしながらの草が植えてあるはずの一帯、コスモスがちらほらと咲いていた。アキノエノコログサがたくさん穂を上げていた。

大きなくすのきの切り株の場所。くすのきは生きていないようだった。切り株の中心から何かの草が出ていたけれど草の種類をいま覚えていない。

市庁舎の前で黄色い花のカンナが並んでいた。キバナコスモスらしき花も咲いていた。


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いつもの道から逸れて、もう一度逸れた。

以前、街路樹のエンジュが伐られるということで新聞に投書か記事かが載った道。道の片側の街路樹は若い桜ばかりになっていた。ところどころの植え枡が舗装で埋められていた。向こう側の歩道にエンジュの木が残っていた。実が下がっていた。

キーボードが弾けると書いてあったので雑貨屋さんに入って弾かせていただいた。そのまま失礼して、緑地まで上がってから、それではどうかと思って引き返して、小さなお坊さんの人形を買った。

緑地はボランティアの方々が整備に参加しているようだった。立て札が立っていた。お散歩の方と、おそらく長い階段を避けてこちらを通ってらっしゃるのだろう方とをお見かけした。

ひさしぶりにこの林の公園に入った。トイレの横の大きなくすのきが切り株になっていた。断面に小石やどんぐりが置かれていた。

碑の下でイヌコウジュが咲いていた。ヒメキンミズヒキも咲いていた。すみれの葉がたくさん出ていた。親子さんがシャボン玉を作っていた。

小さな山頂は何かの甘い香りが漂っていた。あの白い花だろうと思うがよく見えない。コミスジと、モンキアゲハではないかと思う蝶が舞っていた。クサギの花が咲いていた。

展望台を巻いて登る坂道。十月桜が咲いていた。

尾根の下の道を行く。空き地になった場所でアキノノゲシの花が咲いていた。

高台を横に行く小径は草が茂っていた。さっきこの道から出てきた方がいらっしゃったが、この様子だとたぶん、くもの巣をかきわけながら歩いて来られたのではないかと思った。

その小径の途中の大きなくすのきは元気そうだった。

ツルボは咲き進んでいた。キレハノブドウの花に蜂が来ていた。こどもさんからこの蜂はすずめばちだと言われて、アシナガバチでは…と思って調べたらたしかにキイロスズメバチだった。

クサギのトンネルの手前のクサギはいまが花の盛りのようだった。ここのクサギはさっき山頂で見たクサギの仲間なのかもしれない。

スーパーマーケット跡地は草がまだ高くならない。アキノエノコログサが穂を直立させていた。

横断歩道を渡ると桐の木が待っている、その場所の少し手前で、何かの草を見た。この草のことを、帰ってから道の記を書くまで覚えているだろうか…と思っていた覚えがあるのだが、忘れてしまった。

桐の木の少し先で、ハナズオウが小さく咲いていた。足を止めて見た。

道端の伐られた小さなくすのきの、切り株のあった位置のすぐそばにハゼランとクワクサが出ていたのはこの前見たのだが、そのとなりにすみれが少し出ていた。


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小さな公園でご近所の方らしき方が草刈り機を回していた。メヒシバのような草やエノキグサのような草が刃先に見えていた。

緑地は再整備工事が入ったと聞いていたが、どこかわからないくらい以前と変わりない林だった。出るときに一部が芝生になっているのに気づいた。木材チップが階段に敷いてあった。

ひさしぶりのとても小さな公園。シロソウメンタケらしき小さな白い棒が桜のななめ下に林立していた。

ツルボは花を終えつつあった。こどもさんから朝顔とゴーヤのたねをもらった。

思いがけないまちなかでクロテンツキを見つけた。緑地にもクロテンツキがいたのだった。

まちなかを流れるコンクリート岸の川に掛かる橋の上で、人が腰を下ろしていた。泣いてらっしゃるようだった。何もできず通り過ぎた。

市場跡地は建物の建設が進んでいた。手前の水路はそのままで、すみれやえのきが茂っていた。ここは手をつけないまま新施設ができるのかと思いながら歩いていると、旧入口から先は水路が埋められて歩道が無くなり、新たに排水溝を造るらしき工事が進められていた。そこにもえのきが出ていたけれど無くなっていた。街路樹のいちょうも一部なくされていた。そういえばこの前通ったときに伐られていたのだった。

この前見つけたザクロソウが枯れていた。薬のようだった。


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桜の跡地ではなぜかアレチノギクとオオアレチノギクとヒメムカシヨモギの区別がつかなくなる。きょう見たらヒメムカシヨモギばかりだった。

すみれのプランターに植えられたポーチュラカは少し勢いが落ちたようだった。過ぎ去り際にメヒシバが1本出ているのが見えた。

公園のプラタナスの下でしばらく考えたがあまり考えが進まなかった。ここの蟻は小さかった。

保育園を通り過ぎるとき、後ろからばいばいと声がした。振り返ったがどのこどもさんだったか、私が言われたのか、わからなかった。ひとりこちらを向いてややきょとんとした様子のこどもさんがいた。

クリスマスローズが以前咲いていた教会の前。ミズヒキが咲いていた。


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2つ信号の場所は急いで通り過ぎただけだが、草が枯れていたのが見えた。いちばん端にエノコログサらしき葉が見えていた。

ツルボはほぼ花が終わっていた。

移植されたくすのきの下で休んだ。以前のこと、これまでのことを思い出しながらくすのきの傷を見上げていると、向こうからすずめの群れがやってきて、木の上のほうにとまった。それを見ていて涙が出てきた。こどもさんがひとりやってきて、くすのきの幹の後ろに隠れた。

花壇の横の切られたイヌビワはまた葉を出していた。

思い立って、坂を越えて帰ることにした。だんだん緑が深くなって、学校を過ぎたところでこの前の道に出会った。

旧宅緑地で休んだ。石の上に腰掛けた。こどもさんたちが網を持って走っていた。向こうから、とんぼつかまえたと声がした。

ノゲシの道と呼ぼうと思いながら、工事があちこちで行われてノゲシを見なくなっていた道。建物のはざまでノゲシが伸びていた。

陸橋に昇った。大文字が点いていた。

こうして草や木を親しく見て歩くということが「人の道」にかなうのか、もうこれでそうすることを最後にするとしても、いや最後にするなら最後にやはりこの道を行くべきだろう。
小さな道はまた建物が無くなっていた。次々に家が無くなって空き地になって、空き地が無くされて新しい家が建つ。ここでは草も木もどうやって生きていけるだろう。

神社のくすのきの切り株はきのこが出ていた。いつものように頭を下げて通り過ぎた。

アンタレスが出ていた。よく見るとさそり座の上半分が見える。さっき陸橋で追い越した若い人たちがその手前でキャッチボールを始めていた。


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山へ続く自動車道は、途中に看板で告知されていたとおり通行止めになっていた。その通行止めのバリケードの所で、立っておにぎりを食べている方がおられた。行ってみたけれど道が渡れなかったとのことだった。

向こうの山が呼んでいる気がした。自分が山を呼んでいる気もして、区別がつかなかった。

自然歩道のほうを行ったら急坂だった。砂防ダムの横を通り、鳥居をくぐりながら石段を上り岩をよじ上って、中腹の山に着いた。向こうの山が大きく見えていた。しおからとんぼが飛んだり休んだりしていた。黒いあげはが飛んでいた。

ふもとへ降りるまでにけっこうたくさんの方々とすれちがった。お家の掃除をなさっていたり、お散歩なさっていたり。向こうの道からやってこられた方が、なにか知っている方のようににこっとなさった。

カイノキの場所が草が刈られていた。カイノキの所まで行った。カイノキは少し高さのある切り株の途中からひこばえが出ていたのが、その部分の樹皮がめくれてひこばえが垂れ下がってしまっていた。ひこばえの枝が新しく切られた後があった。草刈りのときに切られたのにちがいなかった。ひこばえが上へ伸びていくかどうかは難しい様子に見えた。それでも切らないでほしかった。
もうひとつのカイノキの切り株は枯れていた。ひこばえのようにイネ科らしき何かの草が伸びていた。

この前は道の左側を帰った。きょうは右側をしばらく行くことにした。考えごとをしながらだったので、草も木もそんなに見えてなかった。ただどこかで、セイタカアワダチソウのような草がひょんと伸び上がっていたのを覚えている。

大文字の右のほうで、雲の中から月があらわれた。明日が十五夜。

あるということは可能性があるということだと。ないとはまったくちがうのだと。たとえ、そのあるものに思いを込めるべきでなくとも。そのあるものが人間社会の中で尊厳を認められないでも。人間はそれらを使い尽くし、邪魔だとして無くしながら人間どうしのあいだで生きていくものなのであっても。そう思いながら公園を斜に渡った。桜の木々がいつものように、いつものように立っていた。

ガードレールの角は小さくなったクグガヤツリがしっかりと生きているようだった。

暗い小道のまんなかで、ご近所の方が猫を包むように屈んでおられた。


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キツネノマゴの穂がだいぶ大きくなってきた。

桜の跡地は工事のフェンスが外されていた。だいぶ高く育っていたヒメムカシヨモギが倒れて咲いていた。

電話するために公園に立ち寄った。こどもたちが遊んでいる中を公園の端まで行って電話し、ベンチで休んだ。少しのあいだ頭を抱えて休んで顔を上げると、こどもたちがこちらをうかがっていた。

公園の切り株の木蓮は動きがなかった。いまの時期に葉が出ていないのは苦しい。雨の後だが切り株がだいぶ乾いているように見えた。

ナガミヒナゲシやノミノツヅリが出ていた横断歩道の場所ではいまコメヒシバが出ている。ゆっくり見ていると車が止まってしまうのでなかなかゆっくり見られない。きょうも通り過ぎた。コメヒシバの穂が揺れているように見えた。


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街路樹のこぶしの木、実の殻が割れてまっかな実が出ていた。路上に実が少し落ちていた。だれか飛んで来て食べようとしたのだろう。

知らない道に入って歩いていると、大きな木が茂っていた。そちらへ行ってみると公園があった。近くは通っていたけれどこの公園は知らなかった。くすのきとこぶしが立っていた。公園の中で若い人がスケートボードをひとり練習していた。

キカラスウリがブロック塀の上から流れてきていた。道の反対側ではドクダミが茂っていた。

キツネノマゴを写真に撮った。

落ち込んで帰りながら空を見ると、アンタレスがかろうじて見えていた。少し見ていてふと気分が落ち着いた。自分はこれだけで歩いてきたのだと思った。

同じように、草が続く道端のエノコログサを見て心が落ち着いた。こうして数メートルずつ数メートルずつ人生を歩いてきたのだと思う。


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2つ信号の手前にカラムシが出ているのに気づいた。小さくはない。こつこつと茂っていたのだろう。

イヌビワの花壇のところで腰掛けて休んだ。

草が出ているのが目に入っても種類がぱっと出てこない。だんだんとそういうふうになっていく、戻っていくのだろうか。

スーパーマーケット跡地はまだ草丈が戻っていないが、その手前の歩道側でアキノノゲシが咲いていた。

その花を見て、もう少し歩けそうな気がした。

イヌビワの植木鉢があったお店の跡地はメリケンカルカヤが穂を立てていた。


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休むために立ち寄った小さな公園はこどもさんと親御さんが遊び、端ではテーブルに少しお歳の方がついて何か読んでらっしゃる様子だった。シナサワグルミだろうと思う木が高く、薄雲の空に茂っていた。向こうに大きな切り株が見えていた。


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ひさしぶりに歩く山への道だったけれど、急いでいてあまり景色が目に入らない。歩道の縁石の向こう側にへびが横たわっていた。その先の茂みに猫が何匹もいた。家族だろうか。

神社の境内はところどころが新しくなっていたがそう大きくは変わらないでいた。脇にそれて石に腰掛けた。キツネノマゴやキンエノコロやツボクサやヒメクグが一面茂っていた。桜は早くも葉のほとんどを落としていて、その草の茂みに落ち葉がまぎれこんでいた。

下り坂の歩道。アキノエノコログサだと思う大きなねこじゃらしが軒並み枯れて、穂を掲げていた。

市街地の街路樹が赤リボンを巻かれて枝を落とされていた。

きょうは歩けない感じだった。山は黒々としていた。いまあの山のどこかに自分が居たならどう思っているだろうと思った。

けっこう遅い時間になった。公園の中には誰かいるようだった。沿道のいちょうの木がちらっと視野に入った。枝がすぐそこまで垂れているように見えた。


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街路樹のヒトツバタゴにたくさん実がなっていた。

桜の下のキツネノマゴのところにほかの草がむしられて放置されていた。

電話ボックスのキツネノマゴはだいぶ穂が伸びた。近くの草刈りに遭ったキツネノマゴは低い丈で花を咲かせていた。


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道端の残された桜はさらに枝が落とされていた。特徴だった、歩道のほうへ迫り出していた大枝は無くなった。この桜がここに植えられた頃はもっとこの場所はのどかな場所だった。ふと、ちいさなおうちの話を思い出した。

どうあれ自分もここでたくさんのことを学んだ。そしてこれからも学ぶことがたくさんあるだろう。

キャンパス跡地は雨水管や道路の工事が進められているらしい。高いフェンスで完全に覆われるということではなく、ところどころ低い柵だった。残された木々はあまり変わりなく、このまま残されるのだろう。仮移植だと思われる松の木が枯れている様子が見えた。

帰りには違う道を通ろうかと考えたがなんとなくこの道を採った。その先でたんぽぽを見つけた。以前見ていた場所の向かい側。以前見ていた場所はマンションと駐車場になり、もうここにはたんぽぽは出てこないだろうと思ってさっき通り過ぎたのだった。

小さな神社がある緑地でひと休みした。さあ行こうと歩き出したら、足元でチチコグサがたくさんむしられて放置されていた。枯れてはいず、むしられたばかりのよう。さっきこのあたりでこどもたちが遊んでいるのが見えたが、そのこどもたちだろうか。また生えて来るだろうとは思うが、かわりに頭を下げて立ち去った。

ここの田んぼも刈られたあとから稲の葉が出てきていた。それをついこのあいだどこかで見た。それもどこか遠いところだった。

たまたまそこのお家の方が出てきて草に薬を掛けているところを目撃した、そこのお家の塀沿いに、少し草が出ているのが見えた。いくらか丈が高い草も見えた。


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初めて立ち寄った小さな公園。桜が茂る。桜に寄って見ると、幹の破れ目から細根が出ていた。植樹が30数年前のようだが、幹まわりはずいぶん大きい。しっかり育っていたのだろう。

平たくされた空き地では、シートで覆われたその端から、カヤツリグサやてんつきの仲間の草が小さく茂っていた。メヒシバやかたばみの姿もあった。


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史跡は以前であれば観光の人たちがたくさんだったはずだが、きょうはこどもたちが遊んでいた。向こうにテントが見えた。

史跡のはずれの林のあずまやで休憩してオカリナを吹いた。やまももの木。へびいちご。すみれ。つぼくさ。ヒメクグはここにもいた。

ヤギが繋がれていた。犬のお散歩の方が立ち止まってヤギと話していた。ヤギは犬に近づきたかったようだが犬のほうが怖がっていた。

この前通ったときにはまだ彼岸花が少し咲いていた気がするが、きょうは倒れていた。

大きな学校の横を通る。メリケンカルカヤの穂が大きく垂れてこちらへ迫り出していた。

市民文化会館横の公園緑地が更地になっていた。最初、どうなっているのかわからなかった。更地になっていると気づいて立ち尽くした。

端のほうの木々が残っていた。春に来たときにテープが巻かれていた木々だと思う。道路に落ちていた木の実を、その木々のほうへ投げ込んだ。

野球場のそばでキャッチボールをしていた親子さんのボールが飛んで来た。そのボールも投げて返したが届かなかった。

春の小径はキツネノマゴやウリクサやトキワハゼやキンエノコロが出ていた。小径の先の花畑ではそこの方らしき方が道沿いの草に薬を撒いていた。


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丁字路には小さな葉が見えていた。

公園入口のメヒシバをさわった。たしかに指がすべらなかった。


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ビルの公開緑地が白いフェンスに覆われつつあった。ヨメナがたくさん咲いているのが見えた。コナラの木にどんぐりが見えていた。どんぐりを拾った。

再整備された公園は暑かった。人は端のほうの木陰で休んでいた。

歩道に、ワシントンパームのこどもが出ていた。

大きな広場が広がる公園。こどもたちは広場沿いで遊び、親御さんは木陰に集まっていた。

十月桜が咲いていた。

ツルボはたねができなかったようだった。

道端の植え込みの中のイヌコウジュは咲いていた。知っていないとわからないだろう。

駐車場ごとにノゲシが出ていた道。駐車場で小さなこどもさんがしゃがんで、舗装の崩れた小石を拾っていた。親御さんがそれを眺めている。その駐車場の端で、ノゲシの小さな葉が1枚のぞいていた。

少し前に伐られてそのままになっている切り株のところどころから、小さな芽が出ていた。ナンキンハゼのようだった。


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公園のナンキンハゼが枝葉をほぼ落とされていた。みごとに茂っていたのだった。

桜の跡地はマンションが出来上がったのか、フェンスが無くなり、その部分の工事が進められていた。草の姿は無くなっていた。

公園の木立ちの上に細い月が出ていた。


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閉鎖された公園で育てられていたひまわりが無くなっていた。

閉館したビルの緑地はフェンスに囲われた。フェンスの上から木々の上のほうが見えているだけになった。フェンスの一部が透明になっていて、その部分から緑地内が少し見える。ヨメナがたくさん咲いていた。

赤い実が下がっていた。あとで調べたらマユミの木のようだった。コナラの木にはどんぐりが少し残っていた。

おしゃれなお店に並ぶ行列がいくつもできていた。こういう通りを通りたくないと思いながら、お店のファサードに茂るアオキの仲間のような木を見て通り過ぎて、その木に悪いことを思った気がした。振り返ったがすぐ後ろに人がいてきちんと振り返るのが難しかった。

いろいろな草がいる小径の入口に新しいお家ができつつあった。草は種類が多くてこのごろはもう覚えられない。小径を出るあたりの石垣の下にヒメムカシヨモギだと思う穂が立っていた。

くるみの木は実が見当たらなくなっていた。

クサギのトンネルだった場所で香りがした。もう咲いていないのではと思って見上げると、クサギの花が少しだけ見えた。

通り道の小さなスーパーで買ったカレーパンを、すっかり暗くなった史跡の石に腰を下ろして食べた。こんなに暗いのに人が来る。手前に3人の方がやってきて階段のあたりで腰を下ろした。どこかの言葉で楽しそうに話している。さっきすれちがった親子が史跡の中のほうから戻ってきた。虫を探しているようだった。

山は暗く、林も通りの光を浴びるだけで黒くそびえ立っていた。西には金星と細い月。月の少し下にアンタレスらしき星がちらりと見えていた。


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丁字路の草はやはりエノコログサだった。小さくて最初は葉だけかと思っていたが、小さな穂も出ていた。

いろいろな草が出ている道端はメヒシバが多くなった。メヒシバに隠れるようにエノキグサがいた。陽が当たる所ではエノキグサは少し枯れ始めていたが、それでも新しい葉を出しているようだった。


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池のほとりでカゼクサが風に吹かれていた。

スーパーマーケット跡地は奥のほうの草が丈が高くなっているようだった。逆光で花の穂が輝いていたけれど何の草かまではわからなかった。


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タクシーの中から排水溝のくすのきが見えた。元気そうだった。


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はぜの木がわずかに赤くなっていた。その向こうはコスモスの花畑になっていた。

公園なのか遊具がある広場なのかわからない場所。きょうはブランコにこどもさんが乗っていた。おかあさんらしき方がこどもさんを見守りながら何か別のことをなさっているようだった。

気を落として帰る道から緑地の大きなくすのきが見えた。暗くて足元もよく見えなかったが道を外れて立ち寄った。木の下でひととき立っていた。葉擦れの音がしていた。リンバを鳴らした。いくらか元気が戻って引き続き歩いた。


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道沿いのキツネノマゴは穂が高くなって花が見当たらなくなった。刈られたキツネノマゴも小さな穂を花なしで立てていた。

すみれのプランターはすみれのプランターにすっかり戻った。

草の多いお家ではすすきの穂が結わえてあった。

この道をこの方向から行ったことがなかったから気づかなかったのだろうか、お家の脇にとても大きなリュウゼツランがいた。気づかなかったのが不思議なくらいの大きさだった。


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切り株のところどころから違う何かが生えてきていた、その切り株はだいぶその新しい何かの草が勢いづいていた。

石垣の草は綿毛がだいぶ増えていた。

スーパーマーケット跡地はやはり奥のほうが草が多い。ヒロハホウキギクがしっかり立っていた。

デパート横のチャンチンは新しい木にすっかり変わったようだったが、ある程度歩いてから気づいたので、そこまでのあいだに通り過ぎたチャンチンの木はどうかわからない。


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道端のクワクサは少しだけ色褪せた様子だった。エノコログサも出ていて、秋の道端だった。

その少し先のガードレールの角では、クグガヤツリが小さなまま過ごしていた。


***

閉館したビルの緑地では、フェンスの上に出ている木の枝が色づいていた。

閉鎖された公園では、フェンスが切れている通用口みたいな箇所から虫の声が聞こえてきた。にぎやかそうだった。


***

山が秋の青さだった。

夜に歩くことが多かったので歩道の草をあまり見ていなかった。すみれが生えていたとは気づかなかった。

橋の上から見える川の上流のほうは何か緑地のようになっている様子が見えた。そちらのほうへ行くことはなかなかなさそうだった。

先日の夜に歩いていて立ち寄ったくすのきの緑地。隣がコスモス畑。たしか去年は種子を播かなかったのだったと思う。花の咲く中にたくさんの人がいた。くすのきは静かに木陰を作っていた。

やぎがときどき上体を起こしているのが遠目で見えた。木の葉をむしっているようだった。(その日にそこのお家の方が亡くなったことを翌日新聞で知った)。


***

公園からの帰り、金星の右下にアンタレスが見えていた。これが今年最後のアンタレスになるかもしれないと、これまで何度かそう思いながらそれぞれの場所でアンタレスを眺めた。きょうもそういう日になるのか、きょうがやはり最後になるのか。空がよく晴れていた。


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切り株のまわりに花がたくさん植えられていた。

川沿いの緑地の道沿いの段差に、御高齢の方がお二方腰掛けて何かなさっていた。横を通りながら見ると、将棋だった。お二人とも私には目もくれず、話をしながら盤面に向かってらっしゃった。

だいぶ以前にこの道を通ったとき、横の植え込みからセイタカアワダチソウが伸び出て折れてそこから上へ向かって伸びて咲いていた。きょうのセイタカアワダチソウはまっすぐに立っていた。

アンタレスは、低いあたりが雲があるのだろうと思うが、もうよくわからなかった。


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スーパーマーケット跡地は丈の高い草が奥のほうだけになっているのでそちらの草は見づらい。歩道の端にヒロハホウキギクが立っていた。

水路にはヨシノボリがたくさんいた。増えたようだ。

ハロウィン期間中に完全封鎖されると聞いた公園。すでに閉鎖されている区域のフェンスはそのままだったが、それ以外にさらに封鎖する準備はまだされていないようだった。


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公園は日が暮れたけれどもこどもさんと親御さんがグラウンドで遊んでいた。ベンチに掛けてカリンバを鳴らした。犬の散歩の方が通り過ぎていった。桜の枝葉の向こうに木星が光っていた。


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お寺の裏手にパンパスグラスが並んでいる。そこのベンチでコーヒーパンをいただいた。カリンバを鳴らしていると犬の散歩の方々が次々通って行った。

緑地のくすのきのところにまた立ち寄った。そこでもカリンバを鳴らしたが、どうも地面が固く、おそらくくすのきの根を踏んでいたのだと思う。謝って立ち去った。


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封鎖された公園はさらに封鎖する準備を整えていた。

閉館したピルの緑地の木々がだいぶ色づいた。柿の木の葉がしおれていた。水を遣っていないのかもしれない。

公園に近づいていくほどフェンスが高くなって公園の木々が見えなくなっていく。

再整備基本計画が策定されたという公園。改修されるらしい林間地にはミツバやキツネノマゴや野菊やヒメキンミズヒキがいた。

ひさしぶりに山頂に来た。展望が利かないはずの林のほうに向かって立っている方がおられた。離れたベンチに掛けてしばらく休み、小さくカリンバを鳴らした。気がつくとその方は立ち去っていた。入れ替わるように、カメラを持った人たちがモデルさんらしき方々と登って来た。

山桜の場所には今年もイヌコウジュが出ていた。さっき通ったときには忘れていた。イヌコウジュは少し枯れかかっていて、香りはよくわからなかった。

ヒイラギモクセイが咲き始めた。3本のヒイラギモクセイが並んでいる緑道で、それぞれの香りを嗅いだ。1本は甘酸っぱさが強く、1本は香りが強く、1本は甘くまろやかだった。


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歩いたことのないまちを歩くと見たことがない種類の草を見る。さやができていた。

遠くの山がなぜか優しく見えた。しばらく眺めながら歩いていて、こどもの頃に林間学校でひとりで山の絵を描いた、その描いた山だと気がついた。自由時間に誰とも遊ばずに描いていたのだった。

十年くらい前だったか、親類の方の葬儀で訪れた葬儀場の場所に差し掛かる。川が流れていた。その景色の感じを覚えていた。

アブラギリらしき実が道路脇に落ちていた。

メロディー橋は売店でマレットを受け取るという話を見ていたが、橋のたもとにマレットが備えてあった。ふるさと、めだかの学校を鳴らした。そのあと、音を選んでもみじを弾いた。川がせせらいでいた。

長い道を帰る。暗くなった。金星の下のどこかにアンタレスがいるはずだったが、もうわからなかった。

大きなくすのきの林だった場所は事業所が稼働していて、人影が見えた。その先はまだ空き地だったが、歩道が工事されて植え込みが無くなっていた。ここにもくすのきのこどもがいたのだった。空き地も整地されていて、ここで見たアレチハナガサやヤナギハナガサの姿はなかった。


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近所だけれどめったに歩かない道を歩いて、ふだんよく通る道のほうへ出た。まだこんな所だった。

疲れて公園で休んだ。もう帰ろうかと思っていたが、休んでいると、歩けそうな気がしてきた。休むということをはじめて理解した気がした。

シートがかぶせられた空き地の端では草の種類が増えてきた。イヌホオズキが花をたくさん咲かせていた。

すみれのプランターはまたすみれがなくなっていた。今度はノースポールやほかの花が植えられていた。


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公園の封鎖が解除されていた。封鎖中に植えられていたひまわりは跡形なくなっていた。オオバコがところどころで花の穂を立てていた。

閉館して解体工事が始まったビルの緑地はどうも水やりをしていない様子だった。現場の方に話を聞いたところ、伐採撤去の予定だという。柿の葉はすでにかなりしおれていたが柿の実はしっかり色づいた。もみじも色づいてきた。

閉鎖された公園のワシントンパームがどうも伐られたらしい。先月に撮った写真を現地現況と見比べた。工事通用口の隙間から、輪切りになった木々が見えた。

再整備の予定が立てられた公園。ここにもこれから通うことになるのだろう。きょうはこれまであまり歩いてこなかった東側から北側の一帯を歩いた。ヨメナがどこでもたくさん咲いていた。たまにウォーキングらしき方々とすれ違った。公園再整備のことを御存じなのか、どう思ってらっしゃるのか、それぞれ尋ねてみたくなった。

傾いた山桜の下のベンチでオカリナを吹き、下のパン屋さんで買ったパンをいただく。以前ここにはベンチはなく、舗装もされていなかった。ここには展望台ができるらしい。そのときには木々はどうなるのだろう。林には明るい秋の日差しが入っていた。


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モウコタンポポは少し咲いていた。

もう1か所のモウコタンポポの場所では、どなたか業者さんではない方が鎌を持って草を刈っていた。タンポポにとっては高い草が刈られたほうがいい。気にはなるけれど声を掛けないことにした。


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伐られたカイノキはまだ緑だった。

知らない道を夜に歩くのはやはり不安がある。この道でいいのだろうか…と思いながら歩いていると、大きな木が道沿いにいた。くすのきのようだった。

車のライトにエノコログサが一瞬照らされた。

こどもさん連れの御家族が横断歩道を渡っていったあとに、折り紙の鶴が落ちていた。その御家族が落としたのかわからない。声を掛けようかと思ったが思いとどまってしまった。御家族は向こうのショッピングモールのほうへ歩いていった。

夜の公園も、公園から帰る道も、ヒイラギモクセイの香りがただよっていた。きょうはどこもそうだった。


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封鎖が解除された公園はだんだん人出が戻ってきた感じだった。モミジバフウが緑を保っていた。

閉館ビルの緑地はもみじの葉もしおれてきた。下の草はほとんど枯れているように見えた。

閉鎖された公園の中の様子はわからない。それで歩道橋に上がってみた。手前の桜の木が2本、切り株になっていた。奥にも切り株が見えた。

フェンスの横を歩いていて、ヒイラギモクセイの香りがした。公園の中にヒイラギモクセイが植えられていたので、その木がここまで香っているのだろう。

キャンパス跡地のヒイラギモクセイは、花が遅かった木も咲いていた。かすかに香っていた。

公園の水辺で休んでカリンバを鳴らし、楽譜を書いた。もう夕日になる。

堀のほとりの伐られたエノキがひこばえを出していた。小さなセンダンとザクロも無事に育っていた。

堀は枯れた蓮の葉が立ち並んでいた。堀に沿って歩いていて、少し先に蓮の葉がばさっと落ちた。何かが倒れ込んだようだった。


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休憩したあずまやの床にどんぐりが1つ転がっていた。

畑の外で、ホトケノザがたくさん咲いていた。よく見るとナズナも咲いている。ハナイバナも。ここには春が来ているようだった。

川縁の背の低いセイタカアワダチソウ。元気そうだった。

畑の脇の、以前は彼岸花が咲いていた場所に、鶏頭やいろいろな花が咲いていた。その手前にヨメナが咲いているのだが、きょうは気に留めずに過ぎてしまった。

夜の山に明かりが見えた。ふだんは明かりがない場所だと思う。

車のライトに道端のせんだんの幼木が照らされた。


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きのうのあずまやにまた立ち寄った。きのうと同じどんぐりが同じように転がっていた。

きのう目を留めなかったヨメナをきょうは見た。この前より花が少なくなった気がしたが、咲いていた。

歩いてでは初めて通る道。すぐに道端の大きな木が迎えてくれた。楡の仲間のよう。ムクノキではなかろうか。お家の塀が傾いていた。仰ぎ見た。

山の景色が胸に来る。イチョウが1本、株立ちになっていた。

むかしこの道を自動車に乗せられて通ったことがある。そのときに、道沿いのどこかのお家の前に止まった。そのお家の戸に演歌歌手さんのポスターが貼ってあった記憶がある。そのお家の縁者さんかどなたかだったのではと思う。レコードが家に1枚あった。だいぶ後になって、その歌手さんを応援しようと調べたが、もうわからなくなっていた。そのお家がどこだったろうかと思いながら歩いた。わからなかった。

鉄道跡が公園風の緑道になっていて、その向こうの丘は緑地が広がっているようだった。緑地はどこか寒い地方のように木がまばらだった。不思議な光景だった。あの緑地にいつか行ってみたい気がした。

電池で走る列車らしい。向こう側の窓からは山並みが見える。こちらの背後の窓からは広い空が。空は日が雲のあいだで傾き、山は残り陽に照らされていた。

まちなかの小さな緑地で、駅前のお店で買った柏餅をいただいた。もみじが色づき始めていた。

2度目の長い帰り道。2度目なのでいくらか時間も勝手もわかる。それでも長かった。途中の池の堤のベンチで休んだ。あの山のふもとから歩いてきた。山にぽつぽつと明かりがある。その明かりが遠かった。

何をしているのだろう、何をしてきたというのだろう。道端のシナダレスズメガヤに触れた。自分がこれだけたくさん歩いてきて、してきたことはただこうすることだけだ。

もう大くすのきの林ではない場所。歩道の植え込みまでなくされてしまっている。振り返って頭を下げた。

もう自動車ショールームの隣を通っていてもわびしくない。自分は別な道を別なふうに歩いているのだ。

元施設の跡地は、奥のほうに水たまりができているようだった。草はあまりよく見なかった。

キンモクセイとロウバイが植えてある事業所の植え込み。この前通ったときはキンモクセイが咲いていた。きょうはもう花は残ってなかろうと思いながら差し掛かった。香りもしない。花も見えなかった。通り過ぎていくと甘い香りがした。はっとしてよく見ると、ヒイラギモクセイが咲いていた。うれしくなった。ありがたかった。


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街路樹のモミジバフウが高所作業車で剪定を受けていた。葉が歩道にたくさん落ちていた。その先のモミジバフウはほとんどの枝が落とされていた。こずえのあたりだけ枝葉が残されている木もあった。

キツネノマゴの花が咲かなくなった。

たんぽぽが一輪咲いていた。その一輪に何匹もの小さな虫がとまっていた。

ヒメアカタテハが地面にとまっていた。

桜の跡地はマンションが出来上がり、表の植え込みに植樹されている途中だった。若い桜の木が1本立っていた。

丁字路の小さなねこじゃらしはたしかな穂を立てていた。

ここのキツネノマゴは花が咲いていた。ここだけのようだった。

新しい駅を造る工事はだいぶ進んでいた。足場というのか枠というのか、いぶし銀に輝いていた。まだ日が落ちていないようだった。

こぶしの小公園で、けやきが少し色づき始めていた。

どこかでカタバミがかたまって咲いているのを見た。どこだったか、そのときに他の方がいらっしゃったのだけ覚えている。


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閉館したピルの緑地は木々が枯れてきた。柿の木は実だけが残っていた。

閉鎖された公園のワシントンパームが無くなっていた。南西側の木々も伐られたようで姿が無くなっていた。

ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは別の植物に入れ替わっていた。たまたま人がいて近づけなかったがイヌホオズキのよう。下のほうにヨウシュヤマゴボウらしき葉が少し見えた。

三叉路脇のキツネノマゴは今年は出ていないようだった。

スーパーマーケット跡地はこの秋は奥のほうだけ草が伸びた。歩道のほうでヒロハホウキギクが咲いていた。アキノノゲシはどこにも見当たらない。

自動販売機の裏の小さな柿の木は葉が色づいていた。


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信号待ちをしているあいだ、脇のヒロハホウキギクの花を手に取って眺めた。

陸橋脇の擁壁から出ていた桐の木が伐られていた。

街路樹いちょうの切り株のところに以前出ていたキツネノマゴは見当たらない。ホトケノザが咲いていた。

ブロック塀の下の草は取られたような様子だった。


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丁字路のねこじゃらしは元気にしていた。

道の脇のキツネノマゴだけは花が咲いている。

帰り道、宇宙ステーションが見えた。歩道の脇に立ち止まっている方が。会釈をしたら、ISSですと教えてくださった。


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公園に人が戻ってきた。腰掛けて休む人たちのあいだを抜けるようにして、アシナガバチが地面近くを飛び回っていた。

その公園にこのごろ植えられた葉牡丹のような葉物の植物が、株がところどころ抜かれていた。見かねて植え直した。

閉鎖されたビルの緑地は木々がいよいよ枯れてきた。フェンスの上から枝を出しているもみじだけがあざやかだった。

閉鎖された公園では木々の伐採と移植工事が進んでいる様子だった。歩道橋から見ると、枝を落とされた木々が小さな根株をつけて横倒しになっていた。黄色のテープを巻かれた、枝を落とされた木々がまだ並んでいる箇所もあった。木々が見えない場所もあった。

そのフェンスの横で、街路樹いちょうの葉が歩道に降り積もっていた。


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2つ信号の場所はオニタビラコとエノコログサが1株ずつ見えた。茎はどちらも立っていないようだった。

くすのきの下よりやまももの下のほうが雨に濡れなさそうだった。

道端のヒメウズは今季も数多く出ていた。このまま無事に育ってほしい。


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道端のキツネノマゴがなくなっていた。まわりを探したが見つからない。まわりの低い丈の草は残っている。そのキツネノマゴだけを取ったのか、高さがある草を取ったのか、わからなかった。


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キツネノマゴの場所は小さな丈の穂が花を咲かせていた。もうひと花咲かせたのだと思う。

きのうとは別の道を行った。足元にたんぽぽが咲いていた。

桜の跡地はすっかりマンションが出来上がった。ファサードには植え込みが造られていた。桜の木が立っていた。小さな花が咲いていた。

道端のキツネノマゴをまた探したがもう見つからない。すぐ近くに丈の小さな別のキツネノマゴを見つけた。このキツネノマゴが次代を残してくれるのではないかと思った。

公園は秋を訪ねて歩く人が行き来していた。木々の間で何かを拾っている方も多く見かけた。

路側帯に桜の木が迫り出している。ふもとに水仙らしき葉が並んでいた。じょうびたきが柵の上に止まっていた。私に気づかないふりをしているようだった。


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閉館したビルの緑地ではさざんかが咲いていた。


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閉館したビルの緑地では朝の光に柿の実が照らされていた。

閉鎖された公園を歩道橋から見る。木々が伐採されたり掘り上げられたりして、かなりのスペースができていた。残った木々のいくらかは紅葉していた。

広大な小学校跡地は整地されていた。

小高い山の公園は遊歩道に猫がたくさんいた。人もたくさん。

山の公園のところどころの木々に黄色と赤色のテープが巻かれている。前回見た時からの変化はないようだった。

水辺の公園でどなたかの楽器の音が聞けるかと思っていたが、しずかだった。人は多かった。


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少し高級そうな総菜屋さんがあっていつか買いたいと思っていたのだが、先ごろ閉店なさったようだった。

藤の木だと思うが棚に仕立てられていず、立ち木のようにして茂っていた。お家の前だった。

歩道植え込みのキツネノマゴは陽が当たっていた。少しだけ咲いていた。

草が生えないシートをかぶせられた空き地はシートの端でイヌホオズキが咲いていた。コゴメガヤツリやエノコログサが穂を立てていた。

あのお家の柿の木もきっと実がなっているだろう、と思いながらそこに差し掛かった。実が鈴なりになっていた。梯子が掛けてあったが全部は収穫できないのではないかと見えた。

このあたりで毎年いちばんに咲く桜は太めの枝が落とされていた。まだ緑の葉も残っていたが、だいぶ赤く色づいていた。

道端のクワクサは形が無くなってきた。おつかれさま、と声を掛けた。

イヌビユが出ていた角はムラサキカタバミが咲いていた。そういえばこの角を最初はムラサキカタバミの角と呼んでいたのだった。


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クサギのトンネルはいまはつわぶきの花の小径になっている。


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公園の脇でこどもさんがスダジイのどんぐりを拾っていた。おかあさんらしき方が見守っていた。

道沿いに空き地ができていた。ひょっとして草がいろいろ出ていたあのお家だっただろうか、と気になりながら先へ歩いた。そのお家が変わらずにあった。斑入りの葉のすすきが穂をたくさん掲げていた。


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伐り開かれた小山は切り株からひこばえが茂り、緑の山に戻ろうとしていた。

いつも立ち寄る公園のくすのきの近くではこどもさんが手製の凧をあげようとしていた。


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丁字路のエノコログサは変わりなくいた。信号を待つ方が口笛を吹いていた。うるわしい音色だった。


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ビルの解体工事が進んでいた。外装が剥がされていく感じだった。緑地の木々はさらに落葉が進んだ。もみじはほとんど散った。柿の実はまだ枝に下がっていた。

ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは、イヌホオズキにおされて小さく残っていた。イヌホオズキは枯れ始めていた。

植え込みのイヌコウジュがなくなっていた。地面に花の穂が1本、ちぎられたようにして落ちていた。まちがいなくどなたか持ち去ったということだろう。落ちた穂に種子が残っているはずで、来年またここでイヌコウジュが見られたらいいのだが。

伐採されて切り株が残っている街路樹けやきは動きがなかった。


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そう長く続く道ではないけれど荷物のためか道が長かった。途中の長屋の軒先にゼラニウムらしき花が何種類か植えられていた。どの株もとても小さかった。

いちょうだと思う街路樹の切り株がホトケノザに囲まれていた。ホトケノザがむしろひこばえのようだった。

公園のくぬぎの木が、まるで『おおきな木』のように枝を腕みたいにして下げていた。葉はすっかり黄色だった。

帰りの空に彩雲が出そうな雲が並んでいた。秋を感じた。

草が立ち並ぶ道端は草が枯れてきた。苔の上に小さな双葉がいろいろ出ているようだった。


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しだれ桜の下のイタドリは元気だった。

ビルの解体工事は内装と外装を取り壊していた。柿の実は変わらず残っていた。

そしてさざんかがさらに咲いていた。


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封鎖されていた公園には完全に人が戻った。モミジバフウが深く赤く色づいていた。

通り掛かった所に道路建設反対の立て看板が立っていた。団地を突っ切るかたちになるらしい。看板の向こうにくすのきとくろがねもちがそびえ立っていた。

大くすのきに挨拶して土塁に沿って少し歩いた。足元がふかふかする。途中から斜面側に梅の木が立ち並んでいた。土塁の林の中へ入っていく小径もあるようだった。

オカリナを聴いて歌ってくれたこどもたちは森へ帰っていった。

台風で倒れたかいのきの切り株はひこばえが紅葉していた。まだ黄色が強かった。急いで来なくてもだいじょうぶよと言われた気がした。

もう1本の切り株はやはりまったく芽が出てなかった。チガヤのような葉と、たぶんカラスノエンドウだろうと思う葉が、幹から出ていた。

田んぼのあいだを突っ切っていく道が、あぜ道というよりはふだん使いされているように見えたので、歩いて行った。お寺のほうからウッドデッキが伸びていた。なんきんはぜが実をすぐ上まで降ろしていた。

川土手の小さなセイタカアワダチソウは白くなっていた。

夕日に向かって歩く道になった。学校の桜が黒々としていた。

閉鎖された公園ではメタセコイアがすっかり紅葉していた。フェンス越しに眺める木々は暗い空に屹立していた。


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シロバナタンポポの場所は草が取られてしまっていたが、たんぽぽのロゼットが出始めていた。

大きな柿の木のお家は柿がたくさんなったままだった。梯子も掛けてあるがこのまえ通ったときと同じ位置のようだった。


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2つ信号の場所はこの秋は大きく育つ草はなかったようだ。ひとつだけ出ていたエノコログサは緑味はあるものの、形が崩れてきた。苔の上にオニタビラコの小さなロゼットが見えた。

スーパーマーケット跡地には立ち入り禁止の柵ができた。歩道側でヒロハホウキギクがいくらか咲いていた。

ウマノスズクサは小さなものは枯れていた。大きく育った茎は葉にまだ緑味が残っていた。

このまえ空き地になったと思っていた場所が工事に入っていた。歩道際にノゲシなどの草が小さく葉を広げていた。


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工事中の高架下で雪が降ってきた。

こどもの頃は雪が初めて降ってきたら喜んでいた覚えがあるけれど、いまは…と思いながら商店街を歩いていると、こどもたちに人気の軽食屋さんから出てきたこどもたちが、やばい雪だ、雪がふってきた、と、自転車でどっと駆けて行った。

公園に入ると落ち葉が風でどどどどと吹き流されていた。木立ちの上からさまざまな種類の葉が飛んで来た。

遠くの山だけが不思議と明るい色だった。学校帰りの制服のこどもたちが大笑いしながら川辺の道を歩いていた。

いろいろな草がいる草の道は枯れ色になっていた。おつかれさま、と手を振って歩いた。


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少し道を変えたら、思っていた方向からだいぶ外れた。だいぶ前に1度歩いた道に出た。そのときもこの建物があったけれども、私がこの道を歩かなかったあいだもこの建物はここにずっとあったのだという思いがちょっとよぎった。

川土手では木々の切り株が並んでいた。近くの切り株はくすのきのよう。芽はなかったが、切られたひこばえが緑色だった。また芽を出すだろう。

ここを通るときに見えている小さなお社に初めて立ち寄った。いろいろな神様仏様がぎっしりと祀られていた。老朽化のため撤去しますという貼り紙があった。公式にはどなたの管理の下にもないまま長く祀られてきたのだろう。祠の端が薬の缶で補修されていた。

この前はこの道を通ったのだったと、小さな道に入った。道沿いの畦にはタネツケバナやホトケノザが咲いていた。ぎしぎしの仲間の葉も広がっていた。やはりこの道だと歩いていたら、行き止まりだった。

何年ぶりかの土の小径を歩く。落ち葉が積もっていた。

ガイドブックに玄清法印墓所とあったので探してみようと思っていたら、道から見えた。大きなくすのきの下にお墓があった。この道は山に登るときいつも通っていた道だった。知らずに墓所のそばを通っていたのだ。というより以前は玄清法印を知らなかった。

史跡から脊振のほうの山々に光の梯子が降りているのが見えた。

かいのきはほぼ落葉していた。複葉のまま落ちていた。色合いはこのまえ見たときと大きく変わってはいなかった。

土手の小さなセイタカアワダチソウはさらに白くなっていた。歳を取った白さだった。


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ゴルフの練習場か野球の練習場かわからない大きなネットの下のわずかな構内に、いろいろな植物が植えられていた。里芋のような葉が角を飾っていた。

遠いほうのパン屋さんは今日も開いていなかった。

学校の隅にいろいろな草が出ている。通ったのだが何の草を見たか思い出せない。ただ、何か思った覚えがある。

公園のテーブルの上にどんぐりがひとつ置いてあった。

クリスマス前にときどきこの本屋さんで買い物をした。今年は通り過ぎる。クリスマスのお話し会のおしらせが書いてあった。

シートが敷かれた空き地ではイヌホオズキが花をたくさん咲かせていた。


***

解体工事中のビル緑地では山茶花がさらに咲いていた。少し散り加減になってもいた。

銀行前のこぶしの木は元気そうだった。芽はまだ小さかった。

ヨウシュヤマゴボウが出ているビルは全体がフェンスに覆われていた。

スーパーマーケット跡地の奥のほうでいろいろな草が陽に輝いていた。

丁字路のねこじゃらしは姿が見えなくなっていた。

クリスマスが近いけれど、教会のクリスマスローズは今年は出ていないようだった。


***

ヒロハホウキギクが出ていた角。草の大きな切り株が2つあった。どちらかがヒロハホウキギクだろう。片方は残っている茎の色が緑、片方は紫だった。

丁字路のねこじゃらしの位置をよく見てみた。小さな葉が残っていた。


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工場の横を通って行く大通りはけやきが立ち並んでいた。その下にいろいろな草花が植えられていた。そこに何かの草が生えていて、手を振ったのだが、何の草だったかもう思い出せない。

小さな土手の上で、なんきんはぜなどいろいろな木々が西日を浴びていた。

せっかくここに来たので、道の対岸に渡って空き地のところへ行った。以前はここでホトケノザを見たのだった。ナズナが咲いていた。ホトケノザは出ていないと思いながら端の近くまで来た。ホトケノザが咲いていた。


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ひさしぶりの公園の大きなくすのき。二股に分かれているのはいま気づいた。ふもとのベンチに腰掛けてオカリナを吹いたが、風が強くて寒かった。風にオカリナをかざして風に吹いてもらった。

高速道路の側道を行く。1か所、やつでの林になっていた。

秋に来たときにはいろいろな草が目にとまった。いまは気が急いているのもあるのか、あまり目にとまらない。エノコログサが枯れて立っていた。


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たんぽぽが一輪だけ咲いていた。

桜の跡地に建ったマンションのファサードで、十月桜が少し咲いていた。

電話ボックス横のキツネノマゴは、無くなっていなかったもうひとつの茎も無くなっていた。

空き地の端でもエノコログサが白い穂を立てていた。

ここの柿はどうなるのだろうといつも思っていたお家の柿の木に高所作業車が取り付いていた。枝を切って柿の実を降ろしていた。見ていると、どうせ捨てるからもし食べるならと、ご近所の方が柿をくださった。お家の方がおっしゃるには、91になってもう今年は自分で取れなかったとのことだった。ありがたく柿をいただいた。


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公園のモミジバフウは年内に落葉が終わらなさそうだった。

閉館して解体工事がおこなわれているビルの緑地は、柿の木の一帯で木々が伐採されていた。さざんかは咲いていた。散り始めているようだった。

閉鎖されて樹木の伐採と移植の工事が進められていた公園は、北側の草地が整地されていた。

ウマノスズクサは枯れた。

花壇の横のイヌビワは芽が小さく出ていた。


***

以前ノゲシが出ていた閉店したお店の前には今、ノゲシやノボロギクがいる。ノゲシが咲いていた。

たんぽぽが一輪咲いていた。隣に、綿毛をたくわえた茎が伸び上がっていた。

大晦日の夕日は公園で眺めた。雲に降りていった。雲がしばらく明るく輝いていた。

ガードレールの角はノゲシが出ていた。


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そらのべ