草の写真 草木往還 2020年10月〜12月 そらのべ

草木往還 目次



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草木往還 2020年10月〜12月


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クワクサの手前でハゼランが大きく伸びて咲いていた。

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モウコタンポポが花を1つ咲かせていた。ほかにも咲いた後の茎があった。

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ノゲシからコミカンソウに主が替わっていたお店の前、コミカンソウがなくなっていた。

マンション建設現場の桜の切り株はひこばえが残っているようだった。工事の物がいろいろ置かれている脇からそれらしき姿が見えていた。

キツネノマゴはむしりとられたような跡があった。その奥でほかの株が元気にしていた。

イヌビユの角はイヌビユが復活しつつあった。すみれも小さく葉を広げていた。

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クワクサの手前のハゼランの、花の茎がなくなっていた。根元の葉は残っているので、花をどなたかが摘んでいったのだろうか。

ノボロギクとヒメムカシヨモギの角に出ていたコスズメガヤがすっかり穂を枯らしていた。ハマスゲとクグガヤツリが元気に穂を掲げていた。

帰りは雨になった。傘をささずに歩いていたが、車のライトに照らされる雨が本降りの勢いで、もうこれは仕方がないと折り畳み傘を開いた。その直後に、傘もささず合羽も着ていない自転車の方が後ろから私を抜いていった。そのあとからもう一台、息子さんらしき方がパーカーのフードだけかぶって追っていった。

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スーパーマーケット跡地のアキノノゲシが咲いているのを見た。やさしいクリーム色の花。狭い歩道だが少しのあいだ立ち止まって見た。

丘の斜面のアキノノゲシはよく見ると丈が2、3メートルありそうだった。1本こちらへ倒れていて、その倒れている茎がたくさんのつぼみをつけていた。

伐られた桜の切り株の横で彼岸花が一輪咲いていた。 

ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは実をみのらせつつあった。

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植え込みのキツネノマゴは高さがそろっていて、世話をされているように見えた。

あてにしていた食べ物屋さんが、時間の関係もあるのかことごとく閉まっていた。パン屋さんも開いていず、道を曲がった。遠くに学校の緑が見えた。

伐られた街路樹いちょうの切り株。最初の切り株にはホトケノザが生えていた。花が咲いていた。次の切り株はオヒシバやコニシキソウやエノコログサに囲まれていた。その次の切り株はひこばえを少し伸ばしていた。その次の切り株はひこばえが林のようになっていた。その次の植え枡は舗装されていた。

抜かれた様子のキツネノマゴの場所、ほかのキツネノマゴは無事に花を咲かせていた。

線路際の小さな場所は薬が撒かれたあと草があまり出てこない。そう思っていたら、角にノゲシが育っていた。ひざ丈ほどあった。奥のほうにはエノコログサの仲間のように見える葉が見えた。

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緑に囲まれた喫茶店はなくなったのだった。それを忘れてこの道に入った。喫茶店の場所もよく覚えていなかった。ここではないかと思う場所は駐車場だったが、しかし舗装が少し古い。奥のほうでヒメムカシヨモギらしき草が1本、高く伸びていた。

すみれのプランターに復活したすみれは、つぼみと花のあとがあった。ガザニアやなでしこの仲間かと思う花やハハコグサの園芸種みたいな草(シロタエギク?)やメヒシバに囲まれていた。

覚えられないくらいいろいろな種類の草が生えている。文字どおり建物の裏道で歩く人もほとんどいない。何年か後にはこの一帯も工事が入るだろう。ここに生えている草たちがその工事を体験するかどうかはわからないが、草たちはいまこのときをにぎやかに生きていた。

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ガザニアの道に差し掛かる直前の角でノゲシが咲いていた。

公園の東屋で一息。ちょっと離れたところにカチガラスがたくさんいる。群れで食べ物探しをしている様子。ときどき仲間を追い立てたりしている。キジバトがつがいでまざっていた。

ひさしぶりの春の小径。小径に差し掛かったとたんにキツネノマゴが咲いていた。小径は最近草刈りが入ったような様子だったが、キツネノマゴ、クグガヤツリ、エノコログサ、種類のわからない小さな草、いろいろな草がそれぞれに花や穂をつけていた。

田んぼは稲が色づいている。少し歩くと田んぼの端にミゾソバがかたまって生えていた。ここで育てているようにも見えた。畦にチカラシバが茂っていた。

すれちがったお父さんとこどもさんが、この音な〜んだ、こおろぎ、と話していた。こおろぎころころりん、と歌が聞こえた。ひゅるりりりと鳴く声がしていた。

暗くなってきた土手にコスモスが咲いていた。そういえばこのあたりにコスモスを植えたという新聞記事を読んだ気がする。まだ花はちらほら。暗がりに花の色はよくわからず、ただほのかに白かった。

オレンジライトにコスモスが照らし出される。虫たちの声がにぎやか。すぐそこから聞こえるので、かがんで声を聴く。コスモスが鳴いているように思えてきた。

ここで星を見るとは思わずにやってきたけれど、木星と土星が見えたので、アンタレスを探す。なかなか見つからない。しばらく空を見つめて、山の隣にかすかな明かりを見つけた。ちらちらと赤く見えている。アンタレスだろう。もうだいぶ低い。手を挙げて暗がりを離れ、駅前の明るみのほうへ歩いた。

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スーパーマーケット跡地はヒロハホウキギクが満開だった。手前から向こうのほうまで花が続いて星空のようだった。手前の株がとてもたくさんの花を咲かせていた。傾げながらだった。

クサギのトンネルだった場所にクサギの実がひとまとまり落ちていた。

遊歩道を少し行くとキーボードのようなものを鳴らしている方が。音をよく聴くと、アコーディオンだった。鍵盤側から見ていたのでわからなかった。ほぼ単音でメロディーをゆっくりたどる演奏。歌心につかまれて、道を挟んだ少し離れた所でしばらく聴かせていただいた。
はるかな友に、旅愁、さざんかの宿、知っている歌はマスクの下で口ずさんだ。音に引き寄せられるようにお散歩の方々が入れ替わり立ち替わり、その方の近くのベンチにお掛けになっていた。その方に声は掛けないで立ち去った。対岸に渡ってからもアコーディオンの音がやさしく届いていた。

くすのきの小公園はこどもたちとお迎えの親御さんでにぎわっていた。立ち入ることができない様子だった。

自動販売機裏の柿の木は実を付けていた。ちょっと小さいね、と声に出して言ってしまったので謝った。

以前幹の中ほどで伐られた公園のヒマラヤスギ。樹冠が出来てきて、ぱっと見たらそういう形の木だと思いそうな感じになっていた。

ノゲシの道と呼ぼうと思っていた大通りは、ノゲシが出ていた駐車場や空き地が工事のフェンスに囲われていた。

何度も伐られた道端のくすのきが、しばらく前に通ったときは切り株から芽を出していた。大きくなっているだろうと思ってその場所に差し掛かったが、くすのきは切り株だけになっていた。腐朽が進んでいた。

オニタビラコやスズメノカタビラなどが出ていた、私が通る時間には開いている様子がないお店の前のプランターが、無くなっていた。お店の看板も見当たらなかった。

道を歩き続ける気力がなくなってぼとぼとと歩いて、信号にさえぎられて別の道を行った。そば屋さんを見かけて引き返して入った。遅い時間のそばだけの注文に気持ちよく受け答えしていただいた。ごぼ天そば。そばの味がわかるおいしいそばだった。

池を埋め立てて造られた小さなグラウンドの端で、若いおふたりが地べたに座って語らっている後ろ姿が見えた。

排水溝のくすのきは元気だった。車のライトに照らし出されて、近くに寄らないうちに元気なのがわかった。かがんで葉に触れて立ち去った。

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(北野で降りようかと思ったが、おくんちの行列もコスモス祭りも中止されたことを考えて、やめた。北野の町を見て涙が出てきた。目頭が熱くなったというより嗚咽したかった。神事に列席なさったのだろう若い男の方が和装で女性の方と歩いていた)

ひさしぶりの町はよく晴れてしずかだった。畑の畦で丈の低いアキノノゲシが花を咲かせていた。陽当たりがいいのだろう。

堤防と道路と山と青い空。

川沿いの公園は今回もまた水に浸かったようだった。鉄棒が流れに押されたのだろう、大きく傾いてそのままになっていた。数年前の豪雨のあとに訪ねたときはカンナが倒れて咲いていた。いまは花を高く差し上げている。そのふもとで、ヨメナやキツネノマゴが咲いていた。

河川敷の道でオナモミを見つけた。近くにはほかにオナモミは見当たらない。流されてきたのだろうか。

川のそばに降りた。流れが速かった。後ろから地元の方らしき御年配のおふたりが降りてこられ、会釈して通り過ぎて川辺にとまられた。おひとりがさらに少し先まで歩いて出て、竹の皮のようなものを川に乗せて流した。もうおひとりはそのあいだ、川辺にしゃがんで流れの先のほうを見つめておられた。

土手の上へ続く道沿いに立っている木はエノキだった。視界に入る人工物は道のほかには道路標識だけ。エノキの下ではたくさんの小虫が飛びまわっていた。土手へ登りきった。道路の向こうに水神様の祠があった。

土手を降りてすぐの空き地にコスモスが咲いていた。空き地の隣のお家から出てきたコスモスだろう。お家の方が空き地にも種を撒いたのかもしれない。ありがたく写真に撮らせていただいた。

遠くまでまっすぐ続く道。正面は横に広がる山並み。横を向くと見渡すかぎりの田んぼと畑。青空にぽっかり雲。十勝平野を歩いたことを思い出した。

路側帯しかない、交通量の多い国道をしばらく歩いて疲れたところに、小さな水路に面してたくさんの河童の石像がならんでいた。ここの会社で生産しているものなのだろう。ちょうどみな日差しを浴びていた。少し疲れがほぐれた。

以前この町のここ中心街を歩いたときはもう少しお店が開いていてにぎやかだった気がするが、それも数十年前だ。バス停も簡素な造りのものに変わっていた。駅への道でお店を見つけ、飴を買った。レジ袋をつけてくださった。

日差しが傾いた中、駅に降り立った。下車するときに運転手さんに切符を渡すよう求められて、ひょっとして…と思っていたら、駅は無人化されてがらんとしていた。花が活けてあった。

洋館へ続く小さな道沿いの駐車場の端で、オオイヌノフグリらしき葉を見た。まだ花がないので、イヌノフグリとどちらだろう…と考えたが、葉の感じからオオイヌノフグリだろうと見当をつけた。すぐとなりでトウバナが咲いていた。

帰りの道は輝く夕日へ向かっていた。

植木の畑のあいだを抜けて行く。ところどころで作業をなさっている。キンモクセイの畑のそばに差し掛かった。香りを嗅がせてもらった。このキンモクセイたちはそれぞれどこへ行くだろう。

道を行くほどに切なくなってきた。自分は何をしているのだろう。たくさんのものを受け取りながらしあわせに歩いているけれど、こんな美しい景色の中、堅実に働く方々のあいだを、何もできないでたださすらっているだけでもある。むかしのあやまちも思い出す。

橋を渡る頃には日が暮れた。小さな湖の湖面も見えるがきょうは降りない。向こう岸の林のほうが何かさわがしい。鳥がいるようだ。何の鳥なのかわからないほどいろんな声がしている。歩道を買い物帰りらしき数台の自転車の方々が連なって走り去って行った。

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スーパーマーケット跡地はアキノエノコログサの穂がたくさん。さらに増えた気がする。ヒロハホウキギクは変わらず花を星のように咲かせている。アキノノゲシは1本が花をほぼ終えたようで、つぼみが見当たらない。実を作っているところのようだ。

そのアパートの横をこのまえ通ったとき、敷地のクロガネモチが伐採されているところだった。ほかの木々も伐られていた。そのことを思い出して、回り道をしてそこを通った。敷地の木々はなくされ、灰色のアパート棟がむきだしに見えていた。たぶんエノキだったと思う外周部の木も切り株になっていた。敷地の横を通り過ぎるとき、奥のほうに、あまり高くない何かの木が1本残っているのが見えた。

自動販売機の裏の柿の木には前回は失礼をしてしまった。今回は声を掛けるのでなく手を振った。

ノゲシはやはり見当たらなかった。ノゲシの道と呼びたかったその範囲を通り終える頃に、1株、小さなノゲシが出ているのを見つけた。

道端の切り株くすのきにはおつかれさまと声を掛けた。

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線路際のねこじゃらしはアキノエノコログサのようだった。

角のコスズメガヤやクグガヤツリはなくなっていた。

少し先のクワクサは立ち並んでいたが、ハゼランは花の茎だけでなく全体がなくなっていた。この一帯がところどころ草取りされた様子で、そのさらに先ではノゲシが抜かれて路面にそのままになっていた。葉がまだ緑だった。

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道端のクワクサが少し疲れてきた様子。葉がない茎も。まわりの場所は草が取られてしまって、クワクサだけがここの道端に小さな緑を残している。

工事で少し翳り始めた道沿いのお家にたくさんの草が生えていた。はじっこでイノコヅチが穂を長く伸ばしていた。

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会場を出ると空がまっさおだった。雲が1つもない、と、同じく会場を出たお客さんの声。その声に押されて少し歩くことにした。

植え込みの木に小さな実。赤くて、すでに開いているのか、籐細工の玉のようだった。その実を見て歩き出すと、同じ植え込みの端のあたりを御年配の方がご覧になっていた。その方がご覧になっているものはわからなかった。

見晴し台、という題がついているらしい。街頭の彫刻作品の隣に、ヒメムカシヨモギらしき枯れた草が立っていた。

ツクシオオガヤツリは穂がすっかり熟したようだった。

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この前満開だったヒロハホウキギクはさらに満開だった。

モッコクの実がきのう見た赤い実によく似ていた。実に近づいて見てみようとしたら、ジョウビタキが上の枝から降りてきて、私を見てびっくりして右往左往して、そして別の木へ飛んでいった。

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2つ信号の場所ではエノコログサが穂を立てていた。1つの株で小さな穂を9個立てていて、その隣で小さな株が1個立てていた。そのもうひとつ向こうで、枯れた穂を路面に横たえて、穂を揚げている株もいた。

ヒロハホウキギクは綿毛が目立つようになった。

クサギのトンネルだった場所で、いちごの仲間のようなつるが伸びてきた。これまでここで見た覚えがない。とても元気な様子で、新顔なのではなく以前からいたのだろう。クサギに気持ちが向かって見えていなかったのだろうか。

ヒメウズがいた場所のあたりで掘削されたような跡があった。ヒメウズがその位置だったかはっきり覚えていない。明るいうちに通ったらもう少し細かな様子がわかるだろう。

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ひさしぶりの島。キツネノマゴ、野菊、イヌコウジュの花。

ほとんどバスしか通らない林間の坂道を行く。からだが衰えて苦しい。後ろから自転車が登ってきた。道を空けると、中学生になるかならないかくらいの男の子だった。こんにちは、と挨拶された。こんにちは、と返事した。彼よりも少し声が張っていたなと自分で思った。少しペースを上げた。

展望台のふもとに、だいぶ前に何かの幼木がいたのだったが、畑ができてわからなくなってしまった。この木なのだろうかと、種類のわからないいくつかの小さな木に触れる。その場所を離れようとしたとき、数メートルくらいの椿の木に気づいた。この木だったかもわからない。となりのやはり種類がわからない木がそうだったかもしれない。

林の散策路の途中途中で立ち止まってカリンバを鳴らしたりオカリナを吹いたり。ところどころに屋外彫刻というかモニュメントがあって、それらにも触れて歩く。モニュメントの表面を蟻が歩いていた。

コスモス畑は満開を過ぎて花の散った跡が多かった。その畑を見守るように柿の木がそびえる。雲の多い空に、実を差し出していた。となりはアキニレだろうか。こちらも実がたくさん生っていた。少し経ってそこに戻ると、柿の実に陽が当たっていた。

湾を望むベンチにひとりの人が長く腰掛けていた。

誰もいない日暮れの道を、いのししの気配を感じながら歩いた。鳥が逃げて行く声がときどきした。虫の声はちらほらだった。

西の海は波音を立てていた。防波堤の突端に人の姿が見えた。その少し手前に自転車のシルエットがあった。

海の向こう、赤い月が昇ってくるのが波止場から見えていた。船を待つ人たちが月を眺めて写真を撮っていた。月は船からも見えた。月からこちらへ、駆けていく海が赤く染まっている。夜に海を行く人たちはむかしからこういう景色を眺めていたのかと、その景色をともにしたような不思議な気持ちがした。

船泊まりを横方向に歩く。あかあかと船の灯りが照る。そういえば島ではさっき、漁師さんらしき人が仕事着らしきズボンをはいている後ろを通ったのだった。これからが仕事なのだろう。

公園入口のヒイラギモクセイが香っていたので香りを1本1本嗅ぎながら通った。

もう暗くなっていたが、ビルの谷間のヨウシュヤマゴボウは実があまり残っていないように見えた。下に刈られた枝らしきものが積んであった。そこに実もあったのかもしれない。

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数日前にニュースを騒がせた公園はきょうはそこまでの人出ではなかった。春の草が芽吹いていた。そのかたわらで、小さなエノキグサが1本立っていた。小さな花をつけているようだったがちょっとしゃがんで見ただけではわからなかった。

アパート跡地では、ノゲシやエノキグサやたんぽぽや、道からでは種類がわからないイネ科の草がぽつぽつと立っていた。端のほうでホトケノザが出ていた。閉鎖花をつけていた。

イヌマキはひこばえを出さないようだった。切り株のひとつが脇に赤い新芽を携えていたが、イヌマキの葉とはちがうように見えた。

ひさしぶりに城跡に上がった。切られたエノキの切り株はひこばえを出していた。あまり大きくないので、草刈りのときに切られているのだろう。となりのチシャノキもあちこちからたくさんひこばえを伸ばして葉を茂らせていた。上がってきてよかったと思った。しかしほかの切り株はもう動いてはいないようだった。

スーパーマーケット跡地はヒロハホウキギクがだいぶ綿毛を増やした。アキノエノコログサの穂が立ち並ぶ中、キンエノコロに見える穂が2つだけ出ていた。茎が少し太くてしっかりしている気がするが、それ以上はたしかめなかった。

道端のヒメウズは芽を出していた。このまえ舗装が剥がされていた箇所は再舗装されていた。そこにもヒメウズがいたかもしれない。

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以前にこの村を訪ねたときの写真を手に、その道の景色を探して歩いていたら、差し掛かった角の左に大きないちょうの木がそびえていた。2本。ここに来たと思い出した。いちょうは少し色づいて、ときおり葉を散らしていた。人が誰もいない境内の明るい朝。

そして道の景色はすぐ見つかった。15年ほど前の写真だったが昔ながらのお家も変わらなかった。お家の前の道沿いにはトウバナが塔を立てて咲いていた。

旧校舎の隣に大きなけやきの木が居たはずだと思いながら訪ねた。けやきはしっかりそびえていた。大きかった。だいぶ葉が散って、赤い葉とみどりの葉がいくらか残っていた。見ているあいだにも葉が風に舞っていた。思っていたよりも校舎から離れた位置だった。

けやきは創立記念樹らしい。石碑が木のふもとにあった。いまは新しい校舎が下の敷地に出来ている。旧校舎も新校舎もどちらも見下ろして、けやきはそびえていた。

川に降りた。少し川下のほうで、もみじの葉がいっせいに散っていた。こちらの川上のほうでは崖の上の大きな木から黄色の葉が散っていた。川面の岩に引っ掛かっている落ち葉を見てみた。えのきだった。

バス停へ急いでいたら、もみじの前にしだれ桜のような花が咲いていた。

バスを降りて別の川筋の谷へ。次のバスまで少し時間があるので集落の道を歩いた。目が合った方に挨拶をしていたら、ちょっとつきあってくれたら少し先まで送ってくれるとのこと。軽トラックで案内してくださった場所は、御自身で造られたという菖蒲園だった。たくさんの株があおあおとしていた。

バス停の隣のお家は垣根がなく、道の側は小さな畑になっていた。種類のわからない、コスモスに似たあざやかな色合いの花がぱらぱらと咲いていた。バス停のすぐ横でも一輪咲いていた。お家の方はずっと後ろを向いて畑仕事をなさっていた。

棚田への道はキツネノマゴがあちこちにいた。白花のキツネノマゴも咲いていた。

新道が出来る前に歩いていた旧道に入ってみた。もみじがあざやかに色づいていた。

棚田は一部だけ耕作された跡があった。一部は茶畑になっていた。毎年買い物をしている直売所は出ていなかった。近くのお店で尋ねたら、今年は開けてらっしゃらないということだった。棚田をしばらく眺めた。車を止めて立ち寄る方が去年よりも多かった。どなたも静かに棚田を眺めておいでだった。

山の林の手前の毎年訪ねている木は、倒れて横になっていた。幹に触れると冷たかった。一部の根は地中に残っているようだった。枝には冬芽があったが、いま春の用意をしているのかどうかまではわからなかった。

その場所を離れるとき、大きなけやきの木の下でさざんかが花を咲かせていた。遠い山はすっかり暮れ色になっていた。

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2つ信号の枯れた穂を横たえているエノコログサがとても小さな穂を新しくつけていた。

スーパーマーケット跡地のヒロハホウキギクは花よりも綿毛が多くなった。少し奥のほうではまだ全体に緑が濃い株が立ち並んでいて、そのあたりは花がいっぱい。手前のアキノノゲシはほぼ花を終えているようだった。1株が少しだけ花を咲かせていた。

クサギのトンネルだった場所でツワブキが咲いていた。

そこで休もうと思っていた場所が大掛かりな工事をしているのが遠くから見えた。手前の樫の木の木立ちのベンチでひと休みした。公園管理の車が狭い遊歩道をこちらへ走ってきて、私の前を通り過ぎた。助手席の方がにこやかに挨拶なさった。ベンチを立ち去るとき、木の上からカラスが、かあ、と一声鳴いた。

お屋敷跡のいちょうがぎんなんをつけているのではと思って引き返して見てみた。地面にいくつか落ちていた。木にはもう見当たらなかった。

旧小学校のエノキは変わらないでいた。木のふもとに小さな石垣のような壁が造られ、その上に花のプランターが並んでいるのが見えた。

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道端のクワクサは少し緑味を残していた。

ギターの音がすてきよね、と、そこのご近所の方らしき方から呼び止められた。隣のアパートのどこかからギターが聞こえる。プロ級だとその方は熱弁してらっしゃった。お話がなかなか長かったけれど、聞こえてくる演奏をそんなふうに心からすばらしいと思うお気持ちが尊かった。

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線路際にはいろいろな草が生えていた。オランダミミナグサがけっこう出ていた。

いろいろな種類の草が生えている裏道の道端で、草を抜いたり上のほうをちぎり取ったりした様子があった。抜かれて放置されて枯れていた、たぶんヒメムカシヨモギだと思う草を取り上げて、根を地面に当てた。

桜並木は赤く染まっていた。歩いている人もいたけれど静かだった。

たんぽぽの場所も草を引き抜いた後があちこちにあった。たんぽぽはそれでもだいじょうぶだが、草を抜いている誰かはたぶんいいことをしているつもりでいるのだろう。

桜が伐られたマンション工事現場。道沿いに出ていたヒメムカシヨモギは丈が小さくなっていた。近くに切られた茎が放置してあった。桜の切り株の場所はすでに構造物が造られていた。

T字路にはエノコログサが小さく出ていた。小さなまま小さな穂を掲げていた。

キツネノマゴの場所も草丈が低くなっていた。小さなキツネノマゴが花の終わった穂をやはり小さく掲げていた。

カラスが駐車場にいた。おそらくスダジイの実を食べているのだろう。スダジイの場所を通ると、はたしてスダジイの実がぽつぽつと落ちていた。そういう季節になっていたのだ。

ショッピングセンターに公園のアリを連れてきてしまったので返しに行った。私がさっきまで座っていたベンチに、大きななめくじが2匹陣取っていた。デートの最中のようだった。

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小径のたんぽぽは少し咲いていた。

坂道の歩道の脇にタチスズメノヒエだと思うけれど丈がだいぶ低いすずめのひえがいた。もう大きくならないまま穂をつけたのだろうか。

大くすのきの林に建てられたマンションはすでに入居が始まっているようだった。

文化センターのくすのきは変わらずに陽に照らされていた。近くに、アラカシらしきどんぐりがまとめたように置いてあった。

夕方の公園は明るかった。たくさんの種類の落ち葉が地面を埋めていた。公園に入る前に歩道から見えていた、赤い葉っぱの低木のところへ立ち寄った。木の種類はわからなかったが葉は輪生で、その輪になった葉がそれぞれに、陽の差してくる歩道のほうを向いて赤く染まっていた。

丈が高めの草がちぎられていた一帯はそのあとは変わりがないようだった。エノキグサが色褪せながらしっかりと立っていた。

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工事現場のフェンスの下でハゼランが、花は咲かせていなかったが揺れていた。

踏切が次の列車を待って閉まったまま。隣にたぶんアレチハナガサだと思う茎が立っていた。あまり高くなく、一度刈られたのだろう。葉をたくさん茂らせていた。

モミジバフウの落ち葉が明るい色の粉になって歩道を埋めていた。

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アパート跡地の別の側を通った。こちらではノゲシが立ち並んでいた。ヨモギがとうを立て、タチスズメノヒエが株立ちしている脇で、ツボクサがつるを伸ばしていた。

市民センター前の短い桜並木だった場所の桜がみな伐られて無くなっていた。切り株を見たが伐られてから時間が経ったようだった。腐朽して芯から何かの草が芽生えている切り株もあった。

倉庫も位置が変わり、その裏に出ていたイヌビワもまったくあとかた無かった。子孫もここでは見当たらないようだった。

キツネノマゴが出ている三叉路は草刈りされていた。キツネノマゴの花の後の穂が切られて横たわっていた。そっと触れた。

昨年キツネノマゴが1株出ていた場所では今年はキツネノマゴをけっきょく見なかった。エノキグサも生えていない、と思ってその場所を去ろうとして、エノキグサを見つけた。葉が少し色褪せていたが、エノキグサらしい立ち姿をしていた。

いろいろ在来の草が出ていた記憶がある駐車場の脇、コンクリートの小さな擁壁が造られて土が無くなっていた。

ひさしぶりにこのくすのきの下に来た。工事をしていたりイベントで一帯が入れなくなっていたりして近づけなかった。ベンチが出来ていた。ベンチに掛けた。頭の上の高いあたりに、くすのきの枝が張り出していた。向こうにはけやきの木が見える。向こうは少しにぎやかそうだった。

ヒメツルソバが出ていたけれど歩道の舗装工事でほとんどが無くなり、かろうじてビルの細い隙間に生き残っていた、その隙間を作っていたビルが無くなっていた。ヒメツルソバはどこにも見えなかった。

大きな空地が出来ていた。ここは何の建物だったか。古い集合住宅というか雑居ビルのような建物だった覚えがある。その脇の飲食店から、そう思い出した。

道端のくすのき切り株は芝のような草に囲まれていた。動きはないようだった。

町の診療所だった場所もがらんとなっていた。ワンルーム集合住宅が2棟くらい建つようだ。ここはホトケノザを見た覚えがある。その前、まだ建物があったころには、たしかラベンダーが植え込みに植えてあった。暗いせいかもしれないが草は見えなかった。その隣のお家の道際で、小さなムクゲが花をひとつ咲かせていた。

公園のクロガネモチは実をつけていたがまだ熟していないようだった。

畑に重機が入っているのが見えた。近くまで来ると、すでに整地されていた。コンクリートのがれきが積まれていた。いろいろな野菜がおりおり植えられていた畑だった。ホトケノザやナズナがいっぱい出ていた。彼らのみどりを、もう見ることはないのか。

排水溝のくすのきは変わらず元気だった。

新聞に記事が出たあともしばらく元の建物が残っていたけれど、少し前に取り壊されていま更地になっている場所。アキノエノコログサがところどころで穂をそれぞれにたくさん傾けていた。端には朝顔らしきつるが少しだけ広がっていた。

アレチノギクの駐車場だった場所はマンションになった。マンション前の植え込みにはオタフクが植えてある。そこからアレチノギクが出てくるのではないかと、ここを通るときに何度か見たが、そういう様子はなかった。今夜もオタフクが変わらず茂っているのが見えた。植え込みに近づいて覗き込むことまではしなかった。

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イヌノフグリが出ていたのはここではなかったかと思う場所に、花が植えられていた。

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道端のイヌノフグリは今季は難しいかと思っていたが、出ていた。1株が大きく育っていた。

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水路上の緑道でフラサバソウが出ていた。

歩き疲れて公園で休み、また歩き始めた。夕日に向かって歩く。むかしの町を歩いていると道沿いのお宅のドアが開いて御年配の方が出てこられた。私と目が合ったので軽く会釈すると、「寒いね」と話しかけてこられた。「冷えますね、風が冷たい」と笑顔でお返事した。マスクしているので笑顔が伝わったかわからないが、その方もにこっとなさった。その笑顔がとてもうれしかった。

お社を残すために公園にしたのだと思う小さな公園。何か地面から拾っている方がおられる。そちらのほうをちらっと見たら、夕日のせいらしき緑色の光がさっと眼鏡の中を走った。

長い坂道。先に登って行ったお母さんとこどもさんの自転車が、こどもさんが疲れたらしく止まる。私が近づいていくとそれを察したみたいにしてまた走り始める。それを繰り返してとうとう坂道が終わった。お母さんとこどもさんは道を曲がっていった。

排水溝の網に引っ掛かっている石は変わらず引っ掛かっていた。

大きな公園の外側の、土だった高い土手がコンクリート吹き付けの擁壁になっていた。ここにはヌルデが出ていたり、いろいろ草が生えていたけれども、と思いながら歩く。上のほうに土の面が残っていて、メリケンカルカヤが傾げていた。

雑木林だった一帯が葬儀場になり、そして残っていた土地が自動車販売店になりそうだった。もう林の面影はどこにも見当たらなかった。

帰りは暗くなった。伐採木置き場のいちょうは、ひこばえが一度切られたのだろう、短い芽をいくつも出していた。葉は落としていた。

柿の木や樫の木がいた場所はアパートが建つらしい。もう建物の工事が進んでいた。頭を下げてそこを離れた。

ひさかきがいた場所はこの前見たときのとおり舗装駐車場になっていた。暗くてわからないだけかもしれないが、草や木は生える余地がなさそうだった。敷地の端に花壇が作られていた。マリーゴールドや百日香が暗い中をあざやかに咲いていた。

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駐車場のまわりに出ているオヒシバの穂を、手を出して触った。小さく元気をもらった。エノコログサの穂も向こうに見えていた。

マンション前の歩道の脇のすみれはだいぶ増えていた。



どこかでノゲシが咲いているのを見たが場所をはっきりと覚えていない。フウセンカズラの花を見たあたりだったろうか。

小さなエノキが切られて伐り株になった建物の脇では、オニタビラコが花をつけていた。

スーパーマーケット跡地はアキノエノコログサの穂がすっかり枯れ色になっていた。手前のヒロハホウキギクやアキノノゲシも綿毛を残して倒れつつあった。奥のヒロハホウキギクは緑が残っているようだった。

ここの柵は壊されたりしていないのだなと思いながら、バス停の隣の街路樹根元の、花が植えてある植え枡を見た。しかし次の植え枡の柵は割られていた。割れた部分を、柵みたいに見えるように土の上に並べた。

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街路樹のモミジバフウはさらにあざやかに色づいていた。歩道は落ち葉に埋まっていた。

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マンション工事が進んでいる桜の跡地。手前のヒメムカシヨモギは小さな丈のまま過ごしていた。葉に少し触れて先へ歩いた。

桐の木の場所から覆いが外されていたが、掘削と整地がなされたようで、桐の木をうかがわせるものは何も無かった。

丁字路のねこじゃらしはそのまま残っていた。

キツネノマゴはまだ穂のふさふさした感じが残っていた。

メリケンカルカヤが出ていたプランターはしばらく前に草を刈ったような様子だった。少し離れた車道際にメリケンカルカヤがたくさんの穂を立てていた。

今年最初に花を見せてくれた桜は葉をだいぶ落として、残った葉の色が美しかった。こどもたちがグラウンドで集まって遊んでいた。

道端のクワクサはすっかり枯れていた。そばにホトケノザの小さな株が顔を出していた。

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2つ信号の場所ではオニタビラコがロゼットを小さく広げていた。エノコログサはほとんどが姿が無くなり、枯れた茎を横たえていた株がかすかに穂に緑味を残して立っていた。

スーパーマーケット跡地は歩道寄りの場所は枯れ色になった。セイタカハハコグサがところどころで茎を伸ばしつつあった。

あざやかな夕雲だった。

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以前、正面にノゲシが出ていた閉店したお店の、真向かいのお店の正面にそこそこ大きいノゲシがいた。そのお店は現在も営業中だと思うが、きょうは閉まっていた。

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たんぽぽの花が低く一輪咲いていた。

マンションが建てられる桜の跡地の端に出ているヒメムカシヨモギはさらに少し小さくなったように感じた。

丁字路のねこじゃらしは季節を終えつつあるようだった。

今年はじめての花を見せてくれたソメイヨシノは、その今年はじめて咲いたあたりの、幹から出ている小枝に葉が赤く残っていた。

十月桜はつぼみを残していないように見えた。あとは次の春の準備に入るのだろう。

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交差点の柿の木ははだかになっていた。枝先に何か残っているようだったが、葉の跡なのか実の跡なのかわからなかった。

スーパーマーケット跡地では秋の草たちが枯れていた。ヨモギなどいま緑の葉よりも、枯れている草たちのほうが街の灯りに照らされて明るかった。

ここからノゲシが出ていたのではなかったかと思う場所にはノゲシは見当たらなかった。フウセンカズラも見当たらなかったが、自分が雨に濡れに濡れて余裕がなくて目に入らなかっただけかもしれない。

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モウコタンポポの場所は、この前たんぽぽを見かけた位置では草がむしられたようだった。草のことを知ってもらったほうがいいのかと考えながら歩いていると、少し離れた別の位置でモウコタンポポが花を寝かせていた。

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こんなに吹雪いているのに公園ではこどもたちが遊んでいた。クロガネモチが赤い実をいっぱいたくわえていた。

低いブロック塀のふもとの枯れた草々のあいだから、たねつけばなの葉が小さく出ていた。

アカザやすみれやムラサキカタバミが出ている角ではこの前ムラサキカタバミが咲いていた。きょうはさすがに花を閉じていた。西の空だけふしぎな明るさを残して、雪雲と雪煙が空に広がっていた。

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ツメクサの角には何かの草のあたらしい葉が見えていた。春は来るのだと感じた。

空がすっかり明るくなった。

小径に入ってすぐのお家の軒先プランターにヒメウズがたくさん出ているのをこの前見つけた。ヒメウズを育ててらっしゃるのかもしれない。その少し先のお家では、冬咲きというのか、小さなひまわりが道に向けて花を並べていた。

小さなアパートのような正面をしたお家では、その正面まんなかに立つ大きなさざんかが、あざやかな花を咲かせていた。

公園とその向かいの桜の木々に手を振りながら歩いた。

あしたが次の春の最初のような気も、少ししている。


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そらのべ